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ホーム > 学校・授業の教材 > 郷土の民話 > 『郷土の民話』西播編 > 遊女友君〈ゆうじょともぎみ〉(御津町)

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更新日:2013年3月11日

遊女友君〈ゆうじょともぎみ〉(御津町)

木曽義仲〈きそよしなか〉といえば、武将〈ぶしょう〉として名だかい源氏〈げんじ〉。平治〈へいじ〉の乱〈らん〉で平氏に追〈お〉われ、都から源氏一族が、東国〈とうごく〉(関東)から東北に落〈お〉ちのびました。
この義仲に寄〈よ〉りそっていた女性友君〈ともぎみ〉は、別れてただ一人の従者〈じゅうしゃ〉をつれて京をのがれ、難波〈なにわ〉(大阪)から、海路〈かいろ〉小舟で瀬戸内海を西へと、あてもなく漂流〈ひょうりゅう〉しました。
「ありゃ何だい。」
「女子〈おなご〉じゃないか。」
室〈むろ〉の浜辺〈はまべ〉では、そのとき漁〈りょう〉から帰ったばかりの舟〈ふな〉だまりで、奇妙〈きみょう〉な話し声がおこりました。やがて漕手〈こぎて〉が沖へ、
「そなた!何とて、これへこられたのじゃ?」
「やんごとない(とうとい)お方の奥方〈おくがた〉なるぞ。」
お供〈とも〉の者は答えました。
「何でもええわ、浜〈はま〉へこい!」
というわけで、間もなく老若〈ろうじゃく〉男女が、手をかざして眺〈なが〉めている浜辺〈はまべ〉へみちびかれてきました。
「何と、お美しい方じゃ。」
「気品〈きひん〉の高い女子〈おなご〉はんじゃ。」
と、口ぐちにいいました。あがめる心に、とりあえず、丘〈おか〉の上にある浄運寺〈じょううんじ〉に案内され、和尚〈おしょう〉さんのお許しを得て、そこに落ちつかれ、住まわれることになりました。
「えらいお方じゃ。かしこいお方じゃ。」
何でも知り、心得〈え〉ていました友君は、港の女たちに教〈おし〉えました。和歌〈わか〉の道、舞楽〈ぶがく〉(うたとまい)、書道、行義作法〈ぎょうぎさほう〉など。

幾年〈いくとし〉かへたある年の暮〈くれ〉、法然上人〈ほうねんしょうにん〉が、讃岐〈さぬき〉(愛媛〈えひめ〉県)に流罪〈るざい〉される途中〈とちゅう〉、この港に舟をつけられました。
友君は、都からの徳〈とく〉の高い坊さんと聞き、すぐ上人をたずね、
「まちがい多く、迷〈まよ〉いの友君です。」
とざんげし、行末〈ゆくすえ〉にあてもない身の上をうちあけて救いを求めました。上人は、

「かりそめの色にゆかりの恋〈こい〉にだに あうには身をも惜〈お〉しみやはする」

との歌をしるされ、紺紙〈こんし〉、紺泥〈こんでい〉の名号〈みょうごう〉と袈裟〈けさ〉をそえて彼女に残されました。
友君はねんどをもって像〈ぞう〉をつくりました。これが上人のお姿で、今は重要文化財に指定〈してい〉され、同寺に安置〈あんち〉されています。昔を語るお話の多い室津での、エピソードのひとつとなっています。

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