• お問い合わせ
  • 文字サイズ・色合いの変更
  • サイトマップ
  • 携帯サイト

メニュー

ホーム > 学校・授業の教材 > 郷土の民話 > 『郷土の民話』西播編 > 東海の観音さま(赤穂市御崎)

ここから本文です。

更新日:2012年11月26日

東海の観音さま(赤穂市御崎)

赤穂の塩田は、千年もまえからありましたが、浅野のお殿さんのとき、さらに多くの塩田をつくることになり、姫路のお殿さんに、塩田をつくることの上手な人を貸してほしいと頼みました。
姫路のお殿さんは、領内の的形〈まとがた〉というところから、塩田つくりの上手な人たちを大ぜい集めて、舟にのせて赤穂へ行かせました。この人夫たちの宰領〈さいりょう〉をしたのが日光屋安左衛門〈にっこうややすざえもん〉という人でした。

安左衛門〈やすざえもん〉が赤穂に着いた夜、波の上に立っている観音さまのお姿を夢に見ました。はじめは、家を離れて、枕のかわったせいであろうと思いましたが、くる日も、くる日も夜ごとに同じ夢を見ました。
これはただごとではないと、安左衛門は村の人たちにこの話をしました。すると、一人の漁師〈りょうし〉が、
「このあいだ漁に出たとき、大塚の海で底にぴかぴか光るものを見た。」と申し出ました。そこで、みんなで力を合せて、大塚の海岸で底引網〈そこひきあみ〉を曳〈ひ〉いたところ、丈六〈じょうろく〉(三メートルぐらい)の観音さんの像が、牡蛎〈かき〉の殻〈から〉をいっぱいくっつけて揚〈あ〉がってきました。
安左衛門は「これはもったいないことだ。」といって、ここにお堂を建てて、この観音さんを安置〈あんち〉してまつりました。それから、安左衛門も観音さまの夢を見なくなり、塩田を拓〈ひら〉く仕事も順調にはこぶようになりました。

ある日のこと、備前〈びぜん〉(岡山県)の西大寺へお参りした漁師が帰ってきて、東海の観音さまと瓜〈うり〉二つの仏さまが本堂にあったと知らせてきました。
この話を聞いた安左衛門は、自分で西大寺へまいり、このことを確かめたうえ、この瓜二つの観音さまのことについていろいろ調べてきました。
むかし、西大寺には、同じ形の観音さまが二体ならんでおまつりしてありました。ちょうどそのころ、備前のお殿さんが業病〈ごうびょう〉(なおりにくい病気)をわずらっていました。なかなか薬が効きませんので、西大寺の観音さまに、一日も早く病気がなおるようにと願〈がん〉かけをして、毎日朝夕に参詣〈さんけい〉しました。いよいよ満願〈まんがん〉の日がきましたが、病気は少しも快〈よ〉くなりません。
お殿さまは、たいへん腹を立てられて、「わしの願いを聞いてくれぬような観音さまは、もう用はない。」といって、この二体の観音さまを西大寺の川へ投げこんでしまいました。
二体の仏〈ほとけ〉のうち、一体は流れて海へ出ましたが、一体はどうしても流れず、なんべん投げこんでも、またもとの岸に流れつくのでした。不思議なことがあるものだと、流すのをあきらめてもとの本堂に安置することになりました。
海へ流れて出た別の一体は、東の方へ流れて赤穂の海まできて底に沈んだことが分りました。
網にかかったのは、この観音さんでありました。西大寺の観音さんと瓜二つというのもあたりまえのことでした。
この観音さまは、いまは御崎になく、加西郡のある人がもち帰って祀〈まつ〉っているということです。

お問い合わせ

情報管理部広報係

電話番号:078-331-9962

ファクス番号:078-331-8022