• お問い合わせ
  • 文字サイズ・色合いの変更
  • サイトマップ
  • 携帯サイト

メニュー

ホーム > 学校・授業の教材 > 郷土の民話 > 『郷土の民話』西播編 > 小野豆〈おのず〉のいわれ(上郡町)

ここから本文です。

更新日:2012年10月29日

小野豆〈おのず〉のいわれ(上郡町)

上郡町役場から、東北約六キロメートル、高田川の流れに沿って、登りつめた所が小野豆〈おのず〉です。途中に滝〈たき〉や沼があり、高田の里で一番高く四百二十八メートルあります。

今から約八百年ほど前に、平経盛〈たいらのつねもり〉の家来がひらいた土地だということです。源平の合戦に破れた平家の三位少将経盛が、家来数名を従えて都をのがれ、播磨の里高田まできました。源氏の兵士も後を追ってきましたが、疲れ果ててやすんでいるとき、川上から箸〈はし〉となすびのへたが流れてくるのをみました。追手〈おって〉は、勇〈いさ〉んで近所の住人に聞きだしてけわしい山や谷を登り、ついに人の住めそうな所に着きました。しかし、都を落ちた平経盛主従がわかりません。思案〈しあん〉にくれていた時、突然にわとりの鳴く声を聞きとりました。鳴き声をたよりに、ついに経盛をつかまえたのです。この時に鳴いたにわとりは、平経盛の刀のつばに刻まれた鳥ということです。経盛はその場で、家来の行く末や命を乞〈こ〉い自分は切腹して果てました。家来たちは、経盛の徳と名高い名君のはからいによって、とがめはなくこの地を永住の地として生活するようになりました。後に平経盛の墓を建てて、いついつまでも自分たちを見守って指導してくださいと、村を見下せる丘に祭っています。

それから小野豆では「なすび・にわとり」をいみきらって「作らぬ」、「おかぬ」といい伝えられてきましたが、時代のかわりにつれて現在は、わずかですが作ったりおいたりしています。

お問い合わせ

情報管理部広報係

電話番号:078-331-9962

ファクス番号:078-331-8022