ホーム > 学校・授業の教材 > 郷土の民話 > 『郷土の民話』西播編 > 八朔〈はっさく〉のひなまつり(御津町)
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更新日:2013年3月4日
「なぜ、八月におひなさまをまつるの?」
「春におまつりしないで、おかしいねー。」
ひなまつりといえば、三月三日の桃の節句〈せっく〉にかざるならわしです。
お母さんたちが子どもに説明されるお話・・・。今からおよそ四百年の昔、年号は永録〈えいろく〉九年、桃の節句に、播州〈ばんしゅう〉は室津〈むろつ〉、城山城〈しろやまじょう〉では、城主、浦上村宗〈うらかみむらむね〉の孫、宗景〈むねかげ〉の嫁〈よめ〉どり(けっこん式)があり、盛大な酒〈さか〉もりが開かれていました。
「めでたいのう。」
「美しいお姫さまじゃ。」
など、港の漁師〈りょうし〉たちは、心からお祝いのことばを交〈か〉わしていました。その最中〈さいちゅう〉、ときの声、不意討〈ふいう〉ち。
「わあーっ・おおーっ。」
龍野城主、赤松秀政〈あかまつひでまさ〉らの軍ぜい二千騎〈き〉あまりが斬〈き〉りこんできました。めでたい席はたちまち血潮〈ちしお〉に色どられ、宗景の奥方〈おくがた〉らは敵とたたかい、かなわずして自害〈じがい〉して果〈は〉てられました。
この悲しいできごとから、室津〈むろつ〉では、三月の節句〈せっく〉をさけ、八月一日にひなまつりをする風習〈ふうしゅう〉がつづいています。そして、桃〈もも〉でなく梅〈うめ〉を植え、今も梅林の名所として知られています。
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