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ホーム > 学校・授業の教材 > 郷土の民話 > 『郷土の民話』西播編 > 白旗城陥落の手引き(上郡町)

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更新日:2012年6月20日

白旗城陥落の手引き(上郡町)

赤松満祐〈あかまつみつすけ〉が将軍義教〈よしのり〉を殺して、居城播磨の国白旗城に立てこもっても、しばらくは誰も満祐討伐〈とうばつ〉をいわなかったのです。それでも足利幕府〈あしかがばくふ〉の重臣細川成之〈ほそかわしげゆき〉、山名持豊〈やまなもちとよ〉らが相談して、当時八才の将軍義勝〈よしかつ〉の命を受けて赤松氏討伐に向かいました。
しかし、姫路、竜野に出城をもって勢力をもつ赤松氏をせめることは大へんなことでした。そこで、山名氏は間者〈かんじゃ〉を走らせて、白旗城のなりたちや間道をしらべさせました。今でこそ、白旗山のすそを県道が走り、佐用町や三日月町へ車でらくに走らせることができますが、五百年あまりもの昔ですから、そんな道もなく山づたいにのぼるしか方法がなかったのです。
間者は修験者〈しゅげんじゃ〉風に姿をかえて、白旗山のすそにある部落にもぐり込みました。いろいろと調べたり聞き廻りましたが、部落の人びとは赤松氏に心から服従していましたので、何もいってくれません。間者は、やっとのことで白旗山のふもとにたどり着きました。そこは上郡から約八キロメートルの所にある楠部落の二ツ道という所です。
白旗から流れる谷川で年寄ったおばあさんが洗濯をしていましたので、間者はそのおばあさんに、「おばあさん、白旗山に登るにはどうすれば早く登れるのかな。」と尋ねますと、おばあさんは、「あんたは、なにようがあって殿山に登るのかね。」とつめよりました。そこで間者は、「私は修験者〈しゅげんじゃ〉だから円心様の菩提〈ぼだい〉をとむらい、赤松家の武運長久を祈りたいと思ってな…。」というと、おばあさんは気をゆるして、「それは大へん奇特〈きとく〉なことです。いま白旗城は、将軍さんの家来にせめたてられていますが、でも心配はいらないのです。
白旗山は絶対おちません。守りはかたいし山もけわしいから、大軍ではとても登れません。そのうえ、山には三日月の荘から水道を引いているので、食糧には絶対困りませんものね。」といいました。すると間者が重ねて、「山のお殿さんはえらいんだね。そんなりっぱなそなえを持ったお城は、日本中にはないでしょう。私も安心しました。ここから山をお祈りして帰るとしましょう。おばあさん、ありがとう。山の侍さんがこられたら頑張る〈がんばる〉ように伝えてください。」といって、ひょうひょうと立去っていきました。

それから二か月後、山の水道が切られ、山の兵士たちは水不足のために弱ってしまい、ついに病人のようになって城はおちてしまいました。
山すそのおばあさんの話を聞いた間者は、さっそく三日月に廻って、山の水道を切ってしまったのです。それから間もなく、そのおばあさんは狂い死にしました。そのおばあさんの家のあたりに住んだ人は、その後不幸つづきで現在そのあたりに家はありません。赤松一族の、のろいのせいだと伝えられています。

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