ホーム > 学校・授業の教材 > 郷土の民話 > 『郷土の民話』西播編 > 媼ヶ堰〈うばがせき〉(誉田町片吹)
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更新日:2012年10月1日
「いろいろせわになった。もっと、いてもらいたいが、乳母〈うば〉のたっての願いならしかたがない。いままでせわになった礼になんでもほしいものをとらそう。」
乳母を前に、お殿様がいいました。
「ありがとうございます。わたしのような百姓女が、お城においていただいただけでも、もったいないことでございます。お礼なんて…。」
と、乳母はことわりました。しかし、お殿様の「えんりょせずにいえ。」とのおことばに、乳母は「ひとつお願いがございます。」と、自分の生まれた村の話をはじめました。
「わたしの村は、とても貧しい村でございます。それといいますのも、水にふじゅうしているからでございます。そのため、米もじゅうぶんに作れず、百姓は、畑作や綿を作ってくらしておるのでございます。そのため、農閑期になると、男は、出かせぎや、わずかばかりの日やといに出てくらしを立てております。
水は、全然ないというのではございません。わたしの村へ引かれている、浦上ゆは、川下であるため、米を作るにじゅうぶんな水がこないのでございます。しかし、その北を流れている岩見ゆは、水が豊かで、どんな日照りにも、水がかれたことはございません。
そこで、おねがいと申しますのは、その岩見ゆに、ほんの少しの穴をあけさせて頂きたいのでございます。そうすれば、わたしの村は、水もじゅうぶんとなり、米も作れ、村の者もどんなによろこびますことか。」
と、涙ながらに話す乳母の心にお殿様は心を動かされ、すぐさま、その願いを聞きとどけました。
自分のことはさておき、村のために申し出た乳母の心音〈こころね〉に、お殿様は、ひどくおよろこびになったということです。
それから、乳母の村は、のちのちまで豊かにくらせたということです。のちの人は、この乳母のこうせきをたたえ、「姥〈うば〉の碑〈ひ〉」を建て、毎年、田植時(七月上旬)には、感謝をこめて、この碑の前で回向〈えこう〉をたむけるということです。
また、悪意をもって、この堰〈せき〉をさわると、たたりがあるということです。
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