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更新日:2012年6月20日

夜泣きの手水鉢(揖保町)

「去にたい〈いにたい〉のう―。」
「門前〈もんぜん〉に、去にたい〈いにたい〉のう―。」
訴える〈うったえる〉えるようなすすり泣きが、どこからともなく響いてきます。
すべてのものが寝静まった丑三つどき〈うしみつどき〉、その声は、思い出したようにいっては消え、また、思い出したように続くのです。
「曲者〈くせもの〉!」
城主、脇坂公〈わきざかこう〉は、はね起きて刀を引き寄せました。しばらくは、何の物音もありません。やがて、「去にたいのう―。」ものがなしいつぶやきが、廊下ぞいの庭の一隅〈ひとすみ〉から、またまたひびいてくるのです。
「何者ぞ!」
とのさまは、さっと戸を開け放しました。しかし、庭には、何のものかげもありません。木々が深い眠りにおちて、上弦〈じょうげん〉の月が青く照っているばかりです。ただ、声が出たと思われる庭の隅には、先日宝林寺〈ほうりんじ〉から届けられた手水鉢〈ちょうずばち〉がポツンとおかれていました。
とのさまには、思い当たることがありました。そこで、つかつかと手水鉢に近づいて、手をふれてみますと、それは、まるで涙に洗われたように、ぐっしょりとぬれて、しかも、水を入れたおぼえがないのに、その底には、いくらかの水がたまっているのです。
「そうか。宝林寺に帰りたかったのか。」
とのさまは、そういうと、さもいとおしげに、手水鉢をだきしめました。

それは一月ほど前の、鷹狩り〈たかがり〉のときのことです。
疲れたとのさまは、宝林寺でひと休みしましたが、そのとき見つけたのが、この手水鉢です。千年あまりも経た色といい、こけのつき工合いといい、茶の好きな風流人のとのさまにとって、それは、まことにみごとな逸品〈いっぴん〉だったのです。しぶる和尚〈おしょう〉さんをやっとくどいて、お城に持ってこさせたのが先日のことでした。でも、手水鉢にとって、それは悲しいことでした。自分のねうちを見い出してくれたとのさまの手許〈てもと〉よりも、大燈国師〈だいとうこくし〉誕生の、宝林寺の庭の方が、はるかによかったのです。
「去にたい〈いにたい〉のう。」
それは、仏縁〈ぶつえん〉につながる手水鉢の、毎夜の訴えだったのです。
とのさまには、手水鉢の、そんな気持ちがよくわかりました。朝になると、さっそく、けらいに命じて、てい重に寺へおくり返させました。
「夜泣きの手水鉢」―それは、今も、宝林寺の庭にひっそりとおかれています。

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