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ホーム > 学校・授業の教材 > 郷土の民話 > 『郷土の民話』西播編 > 満祐が大蛇を切る(上郡町)

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更新日:2012年6月20日

満祐が大蛇を切る(上郡町)

赤松円心〈あかまつえんしん〉の孫に、満祐〈みつすけ〉という人がおりました。

この人は、背丈は短くて五尺くらい(一メートル五十センチ)でしたが、大へん強くて大水の時に川の中に雨戸をたてて、川上にぐいぐい押し進んだというのです。陣刀〈じんがたな〉を腰にさして歩くと、刀が歩いているようでした。この時代は、美人とか美男子はかわいがられましたが、みにくい人は笑われ遠ざけられたのです。満祐は、そのみにくい方で、将軍から遠ざけられ領土さえも取り上げられそうでした。こうしたことで、満祐は将軍に対して不満をもっていました。

たまたま、満祐の子ども教康〈のりやす〉の家を新築したので、将軍義教〈よしのり〉を招待して、将軍に対する二心〈ふたごころ〉のないことをしめそうとしました。将軍義教は、家来を連れて招待に応じました。しかし、将軍義教は、満祐の期待を裏切り、あいかわらず満祐のみにくさを笑いました。

満祐は辛抱〈しんぼう〉に辛抱を重ねたのですが、ついに堪忍袋〈かんにんぶくろ〉の緒〈お〉を切って、持っていた太刀〈たち〉を抜いて、ただ一刀のもとに義教を切りすてました。義教の家来は、あれよ、あれよと、いいながら逃げ帰ってしまいました。満祐は京都の家を焼き、家来を引き連れて京都を引き上げました。満祐の豪勇〈ごうゆう〉と赤松氏の武力に恐れた将軍の家来たちは、赤松満祐の後を追うものはありませんでした。

満祐は途中なにごともなく、播磨の国の鞍居〈くらい〉川のほとり(上郡町上郡)につきました。あとは山をつたって一時〈いっとき〉もすれば、白旗の本拠〈ほんきょ〉に帰れることになったのです。満祐の兵士たちも、追手〈おって〉のことなどで疲れ切っていたのです。ここまで帰ったら大丈夫だと安心すると、急に疲れがでて眠気をもよおし、満祐も兵士も小休止してうとうとと眠り、城にいる家来や子どもの楽しい夢をみていました。

すると山籠〈やまかご〉がみしみしと音をたて、妙な匂いがしたので目をあけると、一匹の大蛇が満祐の山籠を二重三重に巻き、炎のような口を開いて満祐をひと呑みにせんとにらんでいました。

満祐がその大蛇をじっとにらみつけ「無礼者。」と、いっかつすると同時に、例の身の丈にあまる太刀を抜くが早いか大蛇の首を切り落としてしまいました。大蛇の首は飛んで、山の鼻にある岩にあたりました。山に逃げるつもりだったのでしょう。大蛇の血は、その岩に飛び散り、赤い花を咲かせたように岩を血でそめました。この音に目を覚した家来たちは、満祐のそばにかけより、「お殿様、おでかしなされました。岩が花を咲かせて喜んでいます。これで足利の軍勢も吹き飛ばすことうけあいでございます。」と賞讃〈しょうさん〉しました。それから、その岩鼻をだれいうとなく、赤い花と呼ぶようになったのです。

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