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ホーム > 学校・授業の教材 > 郷土の民話 > 『郷土の民話』西播編 > 澄〈す〉み水〈みず〉が生〈う〉む鍛治屋千軒〈かじやせんげん〉(上郡町)

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更新日:2013年2月4日

澄〈す〉み水〈みず〉が生〈う〉む鍛治屋千軒〈かじやせんげん〉(上郡町)

現在岩木川に注ぐ船谷川は、上流で大船谷川と小船谷川にわかれています。
小船谷川にかかる橋の手前に道しるべと五輪さんがあり、左は下村、高山道、右は大皆坂村道と記されています。
左に登ると、土地の人びとはホオバリと呼んでおり、その峠の頂上に三基〈き〉の地蔵さんがあります。高浜虚子〈たかはまきょし〉の高弟として世に有名な岡山県の平松措大〈ひらまつしゃくだい〉が、「澄み水に鍛治千軒〈かじせんげん〉の名を残す。」とよんでいます。

昔は鍛治屋が千軒もあって、当時は刀の製法もすぐれたものがあったのです。建ち並ぶ家々から響くつちの音は、まことにみごとなものであったといいます。今の重工業地帯だったかわかりません。
おじいさんは、その鍛治が盛んであったわけを、ぽつりぽつりと説明してくれました。

鍛治が栄えるためには、なんといっても水が大切だということです。現在ヨーロッパやアメリカを旅行した人びとが、「赤穂郡に世界一のものがある、それは千種川の水だ。」といわれます。
そのおじいさんも、船谷川の水を飲むと味がちがうといわれています。土地の人びともその水の清いことを誇りにしています。
赤松氏が駒山〈こまやま〉城を出城〈でじろ〉として防戦した時に、新田義貞〈にったよしさだ〉にせめられ焼討〈やきう〉ちにあいました。その時、鍛治屋千軒も姿を消したというのです。

鍛治の入口(旧道)に地蔵さんではありませんが人の姿でしょうか、浮き彫りされた石塔があります。これが最初に当地に移り住み、刀鍛治千軒のもとをつくったと伝えています。

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