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ホーム > 学校・授業の教材 > 郷土の民話 > 『郷土の民話』西播編 > サスリ岩と高瀬舟〈たかせぶね〉(上郡町)

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更新日:2013年1月14日

サスリ岩と高瀬舟〈たかせぶね〉(上郡町)

昔、岩木〈いわき〉川が千種〈ちくさ〉川に合流するあたりで、くらにつけた鈴が、チリン、チリンとなりながら銅ののべ棒を背負わされた牛が、きのうも三頭、きょうも三頭、その合い間をぬって、岡山県の作州や三国村に急ぐ旅人が大正はじめごろまでありました。
峯尾〈みねお〉銅山から高瀬舟〈たかせぶね〉に積み込む銅ののべ棒の量は多かったということです。坂越〈さこし〉の浜から引き子が、「ホーイ、ホーイ。」と大きな声で千種川の流れと逆に、川上にひっぱって上ります。今でも残る上郡町竹万の川端は有名だったようです。
山陽道の水駅として、また高瀬舟の舟場として、旅〈はた〉ごから店や料理屋までたち並び、そうとうに繁盛したようです。坂越から川上に向って高瀬舟をひきあげることは大へんなことでしたが、川上から荷物を積んで下ることもまた大へんなことでした。

現在東町の下に住宅がありますが、そのあたりは川で放亀ヶ鼻〈ほうきがはな〉に大きな岩が頭を出して、赤穂に向って下る高瀬舟のふなおさ(船頭)を困らせました。高瀬舟は、どの舟もどの舟も、ここにくると急流に流され、岩で舟をこわすか転伏〈てんぷく〉するおそれがありました。
舟人たちは、心で通行の安全を祈りながら、満身の力をこめて、岩をさすりさすり通行の安全をはかったのです。だれいうとなく、「サスリ岩、サスリ岩」と呼ぶようになり、今もサスリ岩としてその一部を住宅地にみせています。
雨や風にさらされたとはいえ、願いをこめて岩をサスッテ通行したこの岩のどこからか、当時の高瀬舟を語ってくれているような気がします。

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