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更新日:2012年6月20日

妙勝寺の夜泣石(山崎町)

山崎町寺町妙勝寺〈みょうしょうじ〉の境内〈けいだい〉には、今も夜泣霊碑〈よなきれいひ〉と大きく書かれた石碑〈せきひ〉があります。高さは一メートル八十センチほどで軽く反り〈そり〉があり、一見して石橋の一部であったことがわかります。この石が、昔夜泣きしたというのです。
昔この石橋の上で、一人の乙女〈おとめ〉がある夜誰かに殺されていました。その乙女の死顔が、あまりにも美しくしかもなごやかで、少しも取り乱したところがないので、人びとは不思議に思っていました。このかれんな乙女の死を、世間の人びとはあわれんで、乙女の血に染まった〈そまった〉この石橋が夜な夜な泣くのだという噂〈うわさ〉が巷〈ちまた〉に広がりました。
何でも、人の噂によれば、この武家風の娘は、もと赤穂の御殿女中に上がっていた女で、わけがあって母方の里にあたる山崎の武家屋敷に身を寄せていた者で、まことに美しい乙女でありました。近所の人びとは、赤穂小町〈こまち〉とささやきあっていました。
この娘がなぜこのような所で殺されていたかは、誰も知りませんが、娘は、さぞふるさとの赤穂が恋しかったのでしょう。乙女の精霊〈せいれい〉のこもったこの石が、「赤穂へいのう(帰ろう)…赤穂へいのう…」といって泣くように聞こえました。

この石橋のあった所は、山崎町、田町、竜野口新門外を流れる下川にかかっていた橋で、この噂さが広がると、人びとは気味悪がって、夜になると近づこうとしませんでした。
奉行〈ぶぎょう〉はこれを知って、この石橋を近くの妙勝寺籔〈やぶ〉にすて、新しく取りかえさせました。
妙勝寺籔〈みょうしょうじやぶ〉というのは今の東鹿沢〈しかざわ〉天理教の裏で、昔妙勝寺はそこにありましたが、のちに今の寺町に移転し、そのあとに竹籔がおい茂り、当時わずかに古い墓が残っていました。ところがこの籔でも捨てた石が泣くというのです。この無気味な話を聞いた妙勝寺の住職が、人びとと相談してこの石を、寺の境内に移し、手厚く供養しましたので泣かなくなったということです。
ある人は、この石があまり、「赤穂へいのう…赤穂へいのう…」と泣いてうるさいので、赤穂へ持って行ったら、こんどは、「山崎へいのう…山崎へいのう…」といい、まことにやっかいです。その人はこの駄々〈だだ〉っ子のような石に業〈ごう〉をにやし、「勝手にさらせ。」といって、妙勝寺の庭へほり込んだともいいます。
以上が巷〈ちまた〉に伝わる話ですが、この赤穂娘の身の上については、当時の武士にえんりょするところがあって、一般には語られていませんでしたが、近隣〈きんりん〉のごく親しかった一部の人びとには、かなりくわしい秘話が伝わっています。
それによるとこの娘には、伊織〈いおり〉という恋人〈こいびと〉があって、朧月夜〈おぼろづきよ〉になると、捨てた石が籔の中で、「伊織恋いし伊織恋いし」と、泣いたといいます。

幕末のころ、町の人びとが、夕涼みの話題にこの石橋の夜泣きのことをいい出し、ある者はそんな馬鹿なことはないといい争い、二人は賭け〈かけ〉をしました。
そこで、さっそく現場へためしに行くことになりました。泣くといった男は、賭〈か〉に負けては大へんと、先廻りして橋の下にかくれ、鼻をつまんで泣くまねをしたそうです。これがばれて、結局、石が泣くのは嘘〈うそ〉ということになりました。
実話は悲しく陰惨〈ひさん〉ですが、民話は何となくゆかいです。

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