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ホーム > 学校・授業の教材 > 郷土の民話 > 『郷土の民話』西播編 > 栗栖〈くりす〉の里〈さと〉の伝説(新宮町栗栖)

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更新日:2012年10月1日

栗栖〈くりす〉の里〈さと〉の伝説(新宮町栗栖)

仁徳〈にんとく〉天皇は、ひじょうに清〈なさけ〉深いお方〈かた〉でありました。
或る日の夕方、宮殿(今の大阪高津〈こうづ〉)の高殿〈たかどの〉から民家の夕げの煙の立つのが少ないのをご覧〈らん〉になって、
「これは、民のくらしむきが豊かでないからであろう。租税〈そぜい〉を今から三年間無〈な〉いことにしてやろう。」
と仰せになりました。やがて三年の後、同じように高殿にお立ちになり、民家の窯〈かまど〉の煙がどの家からも立ち昇〈のぼ〉っているのをご覧になって、
「民〈たみ〉のかまどはうるおいにけり。」(民も豊かになったとみえ、夕げの煙がどの家からも立ち昇っているわい)
と、たいそうお喜びになったということです。そんなこともあってのことでしょう、天皇のために人びとは世界一大きなお墓をつくっているのです。

あるとき、天皇に献上〈けんじょう〉された渋皮〈しぶかわ〉のない栗〈くり〉をご賞味〈しょうみ〉になって、
「たいそうおいしい栗だ。これをぜひたくさんみのらせたいものだ。」
と若倭部連池子〈わかやまとべのむらじいけこ〉にその栗をたまわって、
「この栗のよくみのる土地をさがし、植えて差し出すように。」
とおっしゃったのでした。池子〈いけこ〉は、今の栗栖〈くりす〉の地にその栗を植えたのですが、よく芽〈め〉ばえ、育〈そだ〉ち、やがてよい実〈み〉がついたので、この地を栗栖〈くりす〉の里とよぶようになったといいます。

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