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ホーム > 学校・授業の教材 > 郷土の民話 > 『郷土の民話』西播編 > づれの地蔵さん(赤穂市坂越)

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更新日:2013年3月4日

づれの地蔵さん(赤穂市坂越)

坂越〈さこし〉の東の町に、広島屋という飴屋〈あめや〉がありました。どうしたわけか、夫婦仲がわるく、よくけんかをしました。女房〈にょうぼう〉はけんかの旗色〈はたいろ〉が悪くなると、いつも、「いんまのこというぞ。」といいました。何のことか分りませんが、なんでも亭主〈ていしゅ〉のむかしの弱点〈じゃくてん〉を指しているらしく、女房がそういうと、いつも亭主の方はだまってしまいました。

きようも朝からけんかがはじまりました。そして、けんかのはてのきまり文句「いんまのこというぞ。」と女房がいうと、亭主は、いつものようにだまってしまいました。
その夜おそく、亭主はだまって家を出ていき、明方になって帰ってきました。帰ってきても何も申しません。つぎの日も、そのつぎの日も、夜になると出ていき、明け方に帰ってくる日がつづきました。女房が「どこへ行くのか。」と、聞いても何も申しません。

このようなことが五、六日もつづいたある日、朝になっても飴屋の戸が閉まったままになっているのを見つけて、近所の人たちが、店をこじあけて中に入ってみました。夫婦とも姿はありません。庭に飴を割るノミが血に染って放り出してあるだけでした。亭主が女房を殺してどこかに埋めて逃げたのだろうとのことでした。

一年ほどたって、づれ(地名)のところに亀〈かめ〉の甲の堰〈せき〉をつくることになりました。大ぜいの人が集って仕事をしているのに、すぐそばの桜の木の根元を一羽の鳥がしきりにほじくっていました。不思議に思った村人がさらにふかく掘ってみますと、深いところから飴屋の女房のなきがらが出てきました。亭主が、夜な、夜な出ていったのは、ここに穴を掘るためであったようです。
その後、御崎から地蔵さんをゆずってもらって、飴屋の女房の供養〈くよう〉のためにお堂を建てて祀〈まつ〉りました。お盆の日には坂越中の人が踊って、飴屋の女房の霊をなぐさめたということです。

それにしても、亭主が女房を殺すもとになった「いんまのこというぞ。」とは一体何であったのでしようか。坂越にはまたこんな飴屋の話が残っています。あるいは、この話を女房が知っていて、亭主に「いうぞ、いうぞ。」といっておどしていたのかも知れません。その話も聞いてください。

坂越汐見〈しおみ〉の焼山というところに一軒の飴屋があって、「おらが飴」という飴を売っていました。六月三十日の住吉祭の夜、店を出すと、「おらが飴」の人気が大へんよく、飴はすぐ売り切れてしまいました。店をたたんで帰ろうとすると、「あしたも店を出しなはれや。」という人がありました。
朝になって、しこたま飴を仕込んできて店を出すと、また、あっという間に売り切れてしまいました。大よろこびで家へ帰って寝ました。
朝になるのが待ちどおしく、いくらほど儲〈もう〉かったかとたのしみながら財布〈さいふ〉をあけてみました。ところが財布のなかには、お金は一文もなく、木の葉ばかりがはいっていました。飴屋は、思わず自分の額〈ひたい〉をたたいて、「しまった、ゆうべの晩に勘定〈かんじょう〉しておけばよかった。」といったということです。
飴屋は、このことを誰にも話しませんでしたが、女房だけが知っていたのかも知れません。

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