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ホーム > 学校・授業の教材 > 郷土の民話 > 『郷土の民話』西播編 > 小鷹観音縁起〈こたかかんのんえんぎ〉(赤穂市有年)

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更新日:2012年9月3日

小鷹観音縁起〈こたかかんのんえんぎ〉(赤穂市有年)

正保〈しょほ〉三年(一六五〇)常陸国〈ひたちのくに〉の笠間〈かさま〉から赤穂へ所替〈ところかえ〉になった浅野長直〈あさのながなお〉は、赤穂へ着くと、まず塩田や新田の開発〈かいはつ〉に力をいれました。富原〈とんばら〉新田の開発〈かいはつ〉もそのひとつです。富原新田は、堤防〈ていぼう〉をつくって川の流れをかえて、もとの川原を開墾〈かいこん〉して新田をつくったもので川のそばにはありましたが、土地は高く、田を養う水は、二キロメートルも上流の小鷹〈こたか〉というところに亀〈かめ〉の甲堰〈こうせき〉をつくって、そこから水をひかなければなりませんでした。
植木新左衛門〈うえきしんざえもん〉という人が普請奉行〈ふしんぶぎょう〉となって、大ぜいの百姓を使って、井堰〈いせき〉をつくるために川を掘りはじめました。夕方近く、仕事を終えようとしたとき、一人の百姓が、暮れかけた水底になにか、きらきら光るものをみつけました。何であろうかと水にくぐって拾いあげてみると、一寸八分(五・五センチ)の金の観音像でした。百姓はおどろいて、新左衛門は「これは、きっと何かめでたいことがあるにちがいない。」と、大そうよろこんで、宿舎に持ってかえり、朝になったらお城へ持っていくことにしました。
ちょうどその夜、藩主〈はんしゅ〉浅野長直は城にいて夢を見ました。馬に乗った神々しい仙人のような老人が枕元〈まくらもと〉に現われて
「自分は、仏〈ほとけ〉の力によって、人の形をとって現われたのである。深く仏を信ずれば、かならずその験〈しるし〉が現われて領内がさかえるであろう。」
と告げて去ったかと思うと夢がさめました。朝になって長直は、不思議な夢を見たものだと思い、このことを家来に話しました。おりから、新左衛門が観音像を持ってきました。長直は「さては、昨夜の夢はこのことであったか。」と、大そうよろこんで、これを夢合せ観音と名づけ、厨子〈づし〉をつくって自分の部屋に置いて守り本尊としました。
夜がきて、長直が寝床に入りますと、厨子〈づし〉の中で泣声がします。耳をすまして聞いてみると、
「小鷹〈こたか〉へ帰りたい。小鷹〈こたか〉へ帰りたい。」
といっています。不思議に思って厨子を開いてみると、観音さまがたっているだけで誰もおりません。つぎの晩も「小鷹へ帰りたい。」という同じ言葉が厨子の中から聞えてきました。これは、きっと観音さまが、はじめあったところへ帰りたいといっているのであろうと思った長直は、この観音が沈んでいた川の近くにお堂を建て、ここに観音さまをお移ししてまつることにしました。
いまもある小鷹の観音堂がこれであります。観音さまが川底で見つかった日が八月十八日であったので、毎年この日は、観音さまを開帳〈かいちょう〉して法会〈ほうえ〉をいとなむことにしています。

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