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更新日:2012年6月20日

灰の繩ない(赤穂市有年)

むかし、このあたりに悪い代官〈だいかん〉がいました。

自分は、贅沢〈ぜいたく〉なくらしをしていながら、百姓たちには、「米をたべるな。絹物〈きぬもの〉を着るな。髪の油も使うな。」といって倹約〈けんやく〉をさせ、すこしでもたくさんの米を年貢〈ねんぐ〉に出すようにいいつけました。それでもまだ足らぬといって、こんどは「働けなくなった年寄り〈としより〉を養う〈やしなう〉ほど無駄〈むだ〉なことはない。これから、六十以上になったものは、みんな、いのち山へ連れていって捨ててしまえ」というおふれをだしました。

生みの親を山へ捨てよとはたいへんです。村中の人が泣いて代官の仕うちをうらみましたが、どうしようもありません。泣く泣く、年老いた親の手を引いたり、背中に負っていのち山の奥へ連れていきました。

この村に、日ごろから、たいへん親孝行な若者がおりました。年老いた〈おいた〉寝たきりの父親がありましたが、「なんぼお代官さまのいいつけでも、こればかりは聞くわけにはまいらぬ。」と、誰にも気づかれないように、畳〈たたみ〉をあげて、床下に穴を掘り、そこに父親をかくまうことにしました。夜になると、そっと畳をあげて、穴に降りていって、ご飯をたべさせたり肩をたたいてあげたりしました。

いろいろと百姓たちに無理難題〈むりなんだい〉を申しつけていた悪代官が、こんどは「灰〈はい〉で縄〈なわ〉をなって差し出せ。もしそれができぬとあれば、年貢〈ねんぐ〉を倍にしておさめよ。」というおふれを出しました。灰で縄などなえる道理がありません。それを承知〈しょうち〉で、難題をふきかけ、倍の年貢を取上げようというこんたんでした。

また、村中が大さわぎになりました。灰で縄をなうというようなことは、とてもできそうにありません。さりとてなえなかったら、年貢を倍にしておさめなければならなくなる。この上、年貢が倍にふえては村中が飢死〈うえじに〉してしまうと、みんな思案〈しあん〉にくれていました。

孝行ものの若者も、このおふれを聞いて帰って、夜になるのを待って、穴に降りていって、父親に、この話をしました。父親は、にっこり笑って、「灰で縄をなうことは、むつかしいことであるが、できぬことではない。赤穂へ行って、塩をつくるときにできる苦汁〈にがり〉を集めてきて、じゅうぶんに藁〈わら〉にしませたうえ、この藁をよく打って、縄をかたくない上げ、できた縄に、こんどは、菜種油〈なたねあぶら〉を塗って〈ぬって〉、それに火をつけると、藁は燃えて灰になるが、苦汁をふくんだ灰は崩れる〈くずれる〉ことなく、縄の形で残る。」と、こまかく教えてくれました。

若者は、父親に教えられたとおりにして、灰の縄をつくって、代官所に持っていきました。代官は、灰の縄などなえるはずがない。これで、二倍の年貢がとれるとほくそえんでいましたが、眼のまえにみごとな灰の縄が置かれてあるのを見て、夢かと思い、幾度〈いくど〉も眼をこすって見ましたが、眼のまえの縄は消えません。一時〈いっとき〉はがっかりもしましたが、だんだん灰で縄がなえるなんて不思議なことだと、感服〈かんぷく〉してしまいました。

「それにしても、これはじつにみごとな灰の縄だ。まったく恐れ入った。どうしてなったか、いうて見よ。ほうびは望みどおりのものをとらせる。」と、申しました。若者は、足の悪い父親を捨てずに床下にかくまっていたこと。その父親に、灰の縄のない方を教えてもらったことを話して、「ほうびは、何もいりませんから、年寄りを山へ捨てるおふれだけはやめてください。」と、申し上げました。

さすがの悪代官も、この若者の親を思う孝心〈こうしん〉に、善心〈ぜんしん〉がめをさましました。そして、前非〈ぜんぴ〉を悔い〈くい〉改めて、いろいろの悪いおふれをすべて取り消したうえ、自分も倹約を実行して、村人に範〈はん〉をたれました。
それから、年貢も軽くなり、年寄りも、村の宝といって、大切にされるようになりました。

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