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ホーム > 学校・授業の教材 > 郷土の民話 > 『郷土の民話』西播編 > 段の観音堂の絵馬(山崎町)

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更新日:2012年6月20日

段の観音堂の絵馬(山崎町)

昔、ある秋のこと、山崎城下〈やまざきじょうした〉の村々、とくに段〈だん〉、鶴木〈つるぎ〉の村に野をあらす怪獣〈かいじゅう〉がいました。その被害〈ひがい〉が大きいので村人たちは大へん心配して、庄屋〈しょうや〉の家に集まって相談し、夜な夜なあらわれる野荒しの正体を突きとめようと、番をすることになりました。

夜が更けて〈ふけて〉待ちくたびれた百姓たちが、とろりと居眠りをしはじめたころ、どこからか蹄〈ひずめ〉の音がして、あらわれたのは怪獣にあらずして一匹の裸馬〈はだかうま〉でした。そして稲といわず、大豆といわず食い荒し始めました。百姓たちは驚いて、「おのれ、このいたずら馬め!」と、手に手に鍬〈くわ〉や竹の棒を持って追いまわしましたが、足の早いこの馬には歯がたちません。追えば逃げ、近よればけ散らし、すさまじい歯をむいて荒れ狂うようすはほんとうに恐ろしくて、百姓たちの手に負えません。


東が白みかけたころには、一同疲れ果ててどうすることもできません。馬はゆうゆうと引上げていきます。
そこで、一人の若者が一体この馬はどこから出てくるのかと、後をつけて行ったところが驚いたことに、段の観音様の絵馬の中に入り込んでしまいました。村人たちもこれにはびっくりして、観音様のお怒りかもしれぬと、たくさんの食物を供えて馬の出ないようにお願いしましたが、ききめがありません。

思案〈しあん〉にくれて、庄屋から山崎藩の馬術の先生であった桑田四郎右衛門氏常〈くわたしろえもんうじつね〉に、この荒馬を捕えてふたたび出ないようにしてほしいと願い出ました。四郎右衛門はさっそく承知〈しょうち〉して、夜の更けるのを待ちました。百姓が馬の出たことを知らせてきたので、氏常は現場へきて見ると、なるほど、一匹の裸馬が荒れ狂っています。

薄暗い中をすかして見ると、百姓たちはこれを遠巻きにしていますが、誰も近づく者はいません。氏常は恐れることなく、つかつかとその馬の前に進み出て、大手を広げて立ちふさがりました。馬はさお立ちになっていななきました。その時です。氏常の手が馬のたてがみに触れた〈ふれた〉かと思うと、ひらりと飛び乗っていました。その早業〈はやわざ〉はほんとうにみごとなもので、「さすがは馬の先生よ。」と、みんなほめたたえました。

しかも、氏常が馬上の人となると馬は急におとなしくなり、大坪流〈おおつぼりゅう〉の鞭さばき〈むちさばき〉によって、氏常の意のまま〈いのまま〉に動きます。百姓たちは、ただ驚くばかりでした。
氏常はさっそくこの馬を観音堂の絵馬の中に追い込んで、絵のかたわらに松の木をかき、それに手綱〈たづな〉をむすびつけました。その上この絵馬ににらみをきかすため、馬がもっとも恐れるという龍〈りゅう〉の絵を絵馬堂の天井板〈てんじょういた〉に大きくかいたので、それからは絵馬も一切出なくなりました。

今もその龍の絵は残っていて「正徳五年末、桑田氏常画く」とサインされています。絵馬は誰れがかいたものかさらに古く、絵が風雨にさらされ、ほとんどが消えて原形すらわかりかねるありさまです。

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