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更新日:2012年12月24日
飢饉〈ききん〉のことを佐用郡では、昔から「がっしん」と呼んでいますが、どんな文字を書くのか、誰に聞いてもわかりません。
いい伝えによれば、天明や天保のころには、佐用郡でもこのがっしんがたびたびあったそうです。
ある年の夏などは、稲が育つ七十日の期間中にたった六日しか晴天がなく、気温が低く雨が降り続いたので、米作はきょくたんに減り、金はあっても米が買えないので、小判〈こばん〉をくわえたまま道に倒れて死ぬ人もあったといいます。
ある家でのことです。鍋〈なべ〉の中へほんの少しのお米を入れて、白湯〈さゆ〉のようなお粥〈かゆ〉を煮〈に〉たのを囲んで食事をしておりましたが、中の一人の子どもは、自分の茶碗〈ちゃわん〉の中へ箸〈はし〉を入れて、しきりに何やら探しています。ふしぎに思った母親が、
「お前、何さがしておるぞ。」
「茶碗の中に黒豆が二つ見えたので探してみたが、どうにも箸にかからんのぢゃ。」
「はて、お粥〈かゆ〉の中に黒豆を入れたおぼえはないが。」
と探してやりましたが、やはり何もありません。それもそのはず、黒豆と見えたのは、子どもの目玉が映っておったのでした。
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