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ホーム > 学校・授業の教材 > 郷土の民話 > 『郷土の民話』西播編 > 「日山〈ひやま〉」のいわれ(龍野市)

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更新日:2012年10月29日

「日山〈ひやま〉」のいわれ(龍野市)

むかし、小宅〈おやけ〉の郷〈さと〉に、小宅庄司季政〈おやけのしょうじすえまさ〉という人が住んでいました。たいへんな金持ちだったので、人びとは萬歳長者〈ばんざいちょうじゃ〉と呼んでうやまっていました。この人は、千貫〈せんがん〉の銭〈ぜに〉を山すそのさくらの根もとに埋めて、家をたてたといわれていますから、今の小宅寺〈しょうたくじ〉は、そのあとかもしれません。
小宅の郷から揖保〈いぼ〉川を隔てた対岸を、揖保〈いぼ〉の郷〈さと〉といっていました。この揖保の郷に、萬歳長者にも負けぬ金持ちが住んでいて、この人は、四つもこぶがあったところから四こぶの長者と呼ばれていました。

さて、萬歳長者にひとりの娘がありました。たいへんな美人でしたが、こんな大金持ちの娘ですから、およめさんにほしくても、だれも名のり出る者がありません。名のり出たところで、釣合わぬ、といってことわられるのに、きまっています。
この娘に結婚を申しこんだのが四こぶの長者です。娘は、こぶが四つもある男のよめになるのはいやでしたが、家がらや財産からみて、まことに似合いだということで、話がとんとんと進み、めでたく婚礼の式をあげました。
さあ、これで、ふたりの長者は、むことしゅうと、という関係になったのです。ふたりの財産を合わせると、この世にできないものはないといっても良いほどですから、二つの家は、ますます栄えていきました。
ただ、ふたりの力でも、どうすることもできぬものが、ひとつありました。それは、中を流れている揖保川です。この川のために、自由に往き来することができませんし、大雨でも降ると、両家のたよりがぷっつりととだえてしまいます。
それに、もともと、ふたりはぜいたくに馴〈な〉れていますから、働くことは大きらいです。そこで、なんとか、川を渡ったりしなくても、お互いに、うたをよみ合ったり、酒をくみかわしたりできないものか、とちえをしぼりました。
名案〈めいあん〉が浮かびました。
揖保の郷にある小高い山から、川をこえて、樋〈とゆ〉を長々と渡しかけ、その樋に、酒を流して飲み合おう、というのです。そうすれば、時には、うたを浮かべて流したり、春になればさくら、秋になればもみじを添えて、酒をくむことができるのです。
早速〈さっそく〉、樋〈ひ〉をかけました。
きらきらと光る樋が、まるで、川にかかった虹のように、二つの郷をつなぎました。酒が雲をうつしながら流され、天気のよい日には、かん・・がちょうどできあがるといった工合いで、ふたりをよろこばせました。


後世の人が、こんなうたを作っています。

 いにしえの酒をば流す ひの山と
 末の代〈よ〉までの むかし語りは

今、龍野高等学校付近を「日山」と呼びますが、その「日山」という名は、「樋〈ひ〉の山」からついたということです。

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