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ホーム > 学校・授業の教材 > 郷土の民話 > 『郷土の民話』西播編 > 石橋だったお地蔵〈じぞう〉さん(揖西町)

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更新日:2013年2月4日

石橋だったお地蔵〈じぞう〉さん(揖西町)

龍野市揖西〈いっさい〉町北山という部落〈ぶらく〉に、人びとから、たいへんあがめられているお地蔵さんがあります。いつも、きれいな花がそなえられ、線香〈せんこう〉の煙がたえません。
このお地蔵さんのいわれについて書いた巻物〈まきもの〉が、同部落の、三木正己〈みきまさみ〉さんというおうちにあります。年号が大正十二年ということですから、書かれたのは、今から、やく五十年ほど前ですが、話は、ずっと昔のことです。
話というのは、こうです。

北山部落の中ほどに、西から東へ流れる小さなみぞがありました。そのみぞに、いつ、だれがおいたのか、橋がわりに、石がかけられていました。広い田の、まん中にある部落ですから、村の人はもちろん、よそから来る人も、この橋をよく通りました。
人が通る場合〈ばあい〉、なんということはないのですが、牛や馬を連れているとき、人びとは困ってしまうのです。それは―、牛や馬が、ここまでは、しゃんしゃんと、威勢〈いせい〉よく歩いてくるのですが、この石橋のたもとまでくると、急に、立ち止まってしまうのです。立ち止まるというよりも、脚〈あし〉をすくませて、後ずさりしてしまうのです。たたいても、ひっぱっても、どうしてもこの橋を渡ろうとしません。業〈ごう〉をにやして、こっぴどく叱〈しか〉りつけると、この橋を一間〈けん〉(一メートル八十センチ)ほどさけて、みぞをとびこえてしまうのです。
人びとは、石橋の下に、牛や馬をこわがらせる魔物〈まもの〉でもいるのかと、丹念〈たんねん〉に、みぞそうじをしました。でも、いっこうに、ききめがありません。何かがたたっているのかと、ごきとうをしましたが、やっぱり、同じことです。
困りはてた村人は、この石橋をあらためてみることにしました。みんなで石橋を持ちあげてみると、なんと、その石には、お地蔵さんがほりつけてあったのです。
どうして、お地蔵さんが石橋になっていたのか―
人びとは、いっしょうけんめい古い文書〈ぶんしょ〉でしらべてみました。そして、次のことがわかりました。
―むかし、この橋の南がわに火葬場が、ありましたが、村がさかえて人家がふえたために、これをとりこわすことになりました。そのとき、だれかがあやまって、火葬場にあったこのお地蔵さんを、橋がわりに使ってしまったらしいのです。
もともと、このお地蔵さんは、中古(やく千年前)から、みぞの北がわの荒神社にあったもので、それが、いつのころからか火葬場に、安置〈あんち〉されていたのです。―
明治二十年、これまで北山部落に墓地がなかったのを、時の惣代〈そうだい〉、猪沢久右衛門〈いざわきゅうえもん〉さんが、県にお願いして、墓地を新しく作りました。そのときは、このお地蔵さんのことを思い出し、みんなと相談して、現在の墓地に奉安〈ほうあん〉したということです。(巻物には、くわしい図面ものせてあります。)

牛や馬が、どうしても渡らなかったというお地蔵さん―人びとが、ありがたがるのも、もっともなことですね。

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