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ホーム > 学校・授業の教材 > 郷土の民話 > 『郷土の民話』西播編 > 新田山の烏岩とかさね岩(新宮町)

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更新日:2012年6月20日

新田山の烏岩とかさね岩(新宮町)

むかしも今もかわりなく、新田山〈しんでんやま〉に大きな岩が二つ突き出ています。
東のを烏〈からす〉岩、西のをかさね岩とよんでいますが、この二つの岩によって、今の新宮町が大昔に、あつの村(阿豆村〈あつのむら〉)とよばれていたと、播磨〈はりま〉にのこる一ばんふるい、播磨風土記〈はりまふどき〉という本に書いてあります。

昔、昔その昔に、天に二つの星がありました。いつの昔か、その二つの星は、新田山に落ちてきました。
大昔の人たちは、「天のお星さまが落ちてきなすったのだ。」「落ちてきなすったのを見たかや。」「だれに聞いたかや。」と議論〈ぎろん〉が絶えなかったそうな。
議論をすることを大昔には「あげつらう」といいましたので、これがつまって、「あつの村」となったというわけです。

ところが、あつの村の名まえが生まれたのには、もう一つの話があるのです。
宍粟郡〈しそうぐん〉一宮神社(伊和神社〈いわじんじゃ〉ともいう)に鎮まり〈しずまり〉ます、伊和大神〈いわのおおかみ〉が、この地へこられたとき、それは夏のあつい日だったのでしょう、急に胸のうちが熱くなり、くるしさのあまり、上衣〈うわぎ〉のひもをひきちぎって胸をひらき、「あつい、暑い。」といわれたので、「あつの村」といったのだと風土記にかいてあるのです。
東の烏岩は、ちょうど黒い烏が、くちばしを天に向けて立っているようなかたちをしています。

そして、ふしぎなことに、くちばしの端〈はし〉の岩は、ころりと岩の先にのっかったまま、何万年かの風雪に耐えて〈たえて〉きているのです。
西のかさね岩は、これは、もともと一つの大きな立て岩であったのが、永年の風化作用〈ふうかさよう〉で、岩の中ほどにひびがはいって、そこから上が斜〈ななめ〉に五十センチメートルほどすべり落ちています。むかし、巨人〈よきじん〉が大きな岩をどしんとつみかさねたように見えるのです。
いつのころからか、毎年お盆になると、里の人はたいまつに火をともして新田山に登ります。山頂を一周して一行列を二つにわけて、一つの列は西の岩に向かい、もう一つの列は東の岩に向かって進み、そこでたいまつを二つの岩の上になげ上げて、豊作〈ほうさく〉を天に祈るのです。

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