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ホーム > 学校・授業の教材 > 郷土の民話 > 『郷土の民話』西播編 > 狐岩〈きつねいわ〉(佐用町)

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更新日:2012年9月3日

狐岩〈きつねいわ〉(佐用町)

むかし、佐用の里に与四という人がいました。家は大へん貧しく、年とった母とくらしている孝行者でした。
ある日、山へ入って薪〈たきぎ〉をとっていましたが、夕ぐれになり、山で会った美しい女の人をつれて家に帰りました。母も大へん喜び、与四とその女の人は夫婦になりました。この女の人は大へん老母によく仕えてくれるので、与四も安心して毎日山に入って働くことができました。
家には平和がつづき、家のくらしもだんだんよくなっていきました。やがて一人の男の子が生まれました。母も大へん喜んで大事に育て、子どもの名を市坊と呼びました。市坊が三つの年の秋、老母が死んでしまいました。夫婦は悲しみの中で野辺の送りをすませたのでした。


老母の葬式をすませたその夜、与四は夢をみました。妻がさめざめと泣きながら訴〈うった〉えるのです。
「わたしは人間ではないのです。年とった狐です。あなたがあまりにも孝行で、よく老母につくされるのに感心して、かりに人間の姿となってあなたを助けにきたのです。今はもう母上も亡くなられ、わたしの用事もなくなりました。心残りも多いが帰らねばなりません。わたしの命は来年のきょうで終ります。あわれと思われたら谷をたずねて来てください。」
与四は夢からさめました。おどろいて横を見ると妻の姿がないのです。泣き出す市坊をあやしながら、そのへん一体を探しまわりましたが、とうとう妻を見つけ出すことはできませんでした。
(ああ私の妻は狐だったのか。名残〈なご〉りおしく思うがどうにもならない…。)
市坊をいたわり育てながら一年を待ちました。
その秋の日、妻のことを思い出しながら、市坊の手を引いて山の谷あいを登っていきました。と、そこに今まで見たこともない一つの大きな岩が現われていました。これこそ妻の身の果てに違いないと、涙を流しながら念仏〈ねんぶつ〉をとなえて時を過ごしました。
それから、毎年親子で供養〈くよう〉をつづけたので、この岩を狐岩というようになりました。

まもなく与四も死んで市坊はみなし児になりましたが、仏法を信じ、習わないのに仏教の奥義〈おうぎ〉に通じていました。
そうして、やがて、自分の出生のいわれを知り、十三才のとき父母の供養〈くよう〉のため法華経〈ほけきょう〉を書き写そうと決心しました。紺色〈こんいろ〉の紙を買い求めて軸〈じく〉にし、わが身を切って血を出しては筆を染め、法華経を書き写しました。八軸全部を書き終り、その前に正座合掌〈せいざがっしょう〉しながら大往生〈だいおうじょう〉をとげました。
里の人たちは、それをあわれみ谷に葬〈ほうむ〉りましたが、その谷を市坊が谷といって今も残っており、血書の法華経は白雲山慈山寺〈じさんじ〉に納められ、宝物として今に残されているといいます。

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