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ホーム > 学校・授業の教材 > 郷土の民話 > 『郷土の民話』東播編 > 井ノ口の清水(加古川市平荘町井ノ口)

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更新日:2013年2月25日

井ノ口の清水(加古川市平荘町井ノ口)

奈良にりっぱな都をつくられた元明〈げんめい〉天皇は、和銅〈わどう〉五年(七一二)、衣服〈いふく〉のつくりかたをきめられました。ところで、この服を染〈そ〉めるのには、どうしても質のよい水がいります。天皇は、女帝〈じょてい〉であられただけに、こうしたことにとくに心をくばられました。

ある夜、夢の中に神様があらわれて、
「播磨〈はりま〉の国、印南郡の堤〈つつみ〉というところに良い水が出る。それで染めよ。」
とお告げになりました。
天皇はたいへん喜ばれて、さっそく、使者を出されました。使者がおしえられたところへ行きますと、山裾〈すそ〉から、良水がこんこんと湧〈わ〉き出ていました。よろこんで都へ持ち帰り、天皇がそれで御衣〈ぎょい〉(きもの)を染〈そ〉められますと、何ともいえぬよい色に染めあがりました。そこで、他の官衣〈かんい〉も、ことごとくこの水で染められました。この清水の出るところは、こうしたことから「都染〈つぞめ〉の里」と名づけられ、水の湧き出るところは井ノ口、水の流れるところは水泥〈みどろ〉(今は見土呂と書きます)と呼ばれるようになりました。

播磨なる 井口の清水なかりせば 都の衣を いかで染めまし

天皇は、こうした御製〈ぎょせい〉を詠〈よ〉んで、この泉をたたえられたということです。

この清水は、今も、山裾の畑のそばに湧〈わ〉き出ています。縦〈たて〉一メートル、横一・五メートルほどの井戸のまわりに石だたみを設〈もう〉け、おもかげを残していますが、水脈〈すいみゃく〉がかわったのか、昔ほどのいきおいのないのが惜〈お〉しまれます。

(『播磨鑑』)

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