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ホーム > 学校・授業の教材 > 郷土の民話 > 『郷土の民話』東播編 > 還〈もど〉り石〈いし〉(西脇市中畑町)

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更新日:2012年9月24日

還〈もど〉り石〈いし〉(西脇市中畑町)

むかし、中畑〈なかはた〉村の西山〈にしやま〉というところの山の中に、高さ七尺〈ななしゃく〉あまり(約二・十メートル)幅〈はば〉一尺八寸〈ずん〉(約五十センチメートル)の立石〈たていし〉がありました。この立石はなかなかりっぱなもので、とくに庭石〈にわいし〉にはもってこいの石で、誰〈だれ〉もが注目〈ちゅうもく〉していました。

ところがあるとき、津万〈つま〉村に住む金持ちがそれを聞きつけ、ぜひともうちの庭石〈にわいし〉にしたいと考え、大ぜいの人夫〈にんぷ〉たちを雇〈やと〉い入れてきました。雇われてきた人夫たちは、朝早くから山へでかけて石を持ち帰える仕事を始めました。何しろ、石ですから重いことはいうまでもありませんが、りっぱな石なのでうっかり乱暴〈らんぼう〉にあつかって傷〈きず〉でもつくればそれこそ大へんです。人夫たちは慎重〈しんちょう〉に慎重をかさねて仕事をしましたので、すっかり手間がかかり、やっとのことで中畑村と上比延〈かみひえ〉村のちょうど中ほどにある小坂あたりまで運んできたときには、とっぷりと日は暮〈く〉れて、相手すらまったく見えぬほどの暗〈くら〉さになってしまいました。仕方がないので、そこに石をおいてみんな帰ることにしました。

あくる朝、早くからきのう持ち出しておいた石を持ち帰えるために、人夫たちが大ぜいやってきました。ところが、どうしたことでしょう。昨夜〈さくや〉たしかにおいて帰ったはずの石がどこにも見あたらないのです。
「だれどに(誰〈だれ〉かに)盗〈と〉られたんやぜ…。」
「せやけど、あんな重たい石をそないなやすう・・・・(かんたん)に一晩〈ひとばん〉のうちに盗るはずがあらへん…。」
そこで人夫たちは手分けをしてほうぼうを探〈さが〉し始〈はじ〉めました。ある者は近くの民家〈みんか〉を、ある者は山や野原〈のはら〉を、またある者はそのあたりの道や川や田んぼのなかまでも探しまわりましたが、それらしい石はどこにも見あたりませんでした。金持ちの主人はすっかり腹〈はら〉を立てて、
「草の根〈ね〉を分けても探しだせ!」と片意地〈かたいじ〉をはって強〈つよ〉く命令〈めいれい〉し、人夫たちは主人のその恐〈おそろ〉しい怒〈いか〉りにおびえて必死〈ひっし〉になって探しました。
すると、探しにでていた人夫の一人が真青〈まっさお〉になって息〈いき〉をせききってかけ込んできて、
「えらいこっちゃ、(大へんなことだ)あの石はまたもとの道をもどって、中畑村の墓の西の山の中におる(いる)!」というのです。まさかと誰もが思ったが、見に行ってみて、まさにそのとおり、その石に間違いがなかったのです。不思議〈ふしぎ〉に思って誰もが首をかしげているところへ村人がきて、それを見るなり、「これは霊石〈れいせき〉に違いない。」といいました。それを聞いて、金持ちの主人はすっかり驚〈おどろ〉き、自分に崇〈たたり〉があっては大へんだと、その石を持ち帰るのをあきらめ、あわてて逃げ帰ってしまいました。

村人たちは、その石に阿弥陀如来〈あみだにょらい〉の像〈ぞう〉を刻〈きざ〉んで、堂〈どう〉を建〈た〉て、堂守〈どうも〉り(堂を守〈まも〉る人)をおいてねんごろに祀〈まつ〉りました。今の阿弥陀堂がそれで、その名を還石寺〈かんせきじ〉(戻る石の寺)とつけました。また、石をおいた所を「仏坂〈ぶつさか〉」、石のあった所を「石仏〈せきぶつ〉」、運ぶ途中休んだところを「健石〈たていし〉がいち(位置〈いち〉)」と名づけましたが、今でもそう呼ばれています。

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