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ホーム > 学校・授業の教材 > 郷土の民話 > 『郷土の民話』東播編 > 石の宝殿〈ほうでん〉(高砂市阿弥陀町生石)

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更新日:2013年1月28日

石の宝殿〈ほうでん〉(高砂市阿弥陀町生石)

国鉄山陽線に「ほうでん」という駅があります。これは、名跡〈めいせき〉として知られた「石の宝殿〈ほうでん〉」からとったものです。つぎに、この宝殿の現状と由来を述べてみましょう。

宝殿駅から西方二キロメートルのところにある生石〈おおしこ〉神社は、大己貴命〈おおなむちのみこと〉と少彦名命〈すくなひこなのみこと〉をまつっていますが、この社殿のうしろに大きな石が横たわっています。たて、よこ各四十二メートル、高さ四十七メートル、社壇〈しゃだん〉の形につくったものを仰むけに押し倒したかっこうで、屋根にあたるところはうしろに、底にあたるところが前になっています。まわりの岩山をくり抜いてつくったあとは歴然〈れきぜん〉としており、古代人のたくましさを示すみごとな石造物であるところから、「石の宝殿」と呼んであがめられていますが、これについて、「社記」の語る由来はつぎのとおりです。

むかし、大己貴命〈おおなむちのみこと〉と少彦名命〈すくなひこなのみこと〉が力を合せて国土の経営にあたられたことがありました。播磨地方も、そのおかげを受けているひとつですが、あるとき、二人の神様がこの地にこられ、仮宮〈かりみや〉をつくってしばらくおられました。そのうち、本宮をつくる相談をされ、一夜のうちに決行することをきめられました。日が暮れますと、大ぜいがどっと工事に取りかかりました。石を切るカン高い音、石屑〈くず〉を運ぶざわめき、それはそれは、たいへんな騒ぎでした。夜明けが近づき、工事はほとんど完成に近づきましたが、このとき、天佐久売〈あまのさくめ〉が急いで申しあげました。
「阿賀神〈あがのかみ〉が叛乱〈はんらん〉をおこし、兵をひきいて山のふもとまできております。」
二神は、工事を中止し、ふもとに軍を集めて阿賀神をうち破られました。しかし、このため、工事は中断され、せっかくの石の宝殿も未完成のまま置かれるようになったということです。
石の宝殿の北方にある「神爪〈かづめ〉」が、もと「神集〈かんづめ〉」と書いたのは、このとき、神様を集めたところだからだ、ということです。また、さらに、その北方の高御位山〈たかみくらやま〉に「鯛〈たい〉じゃり」と呼ばれる鱗〈うろこ〉状の石片が多く散らばっているのは、石の宝殿をつくったときの石屑を投げ捨てたところだ、といっています。

(『生石神社社記』)

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