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ホーム > 学校・授業の教材 > 郷土の民話 > 『郷土の民話』東播編 > 八十岩橋(加古川市平荘町池尻)

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更新日:2012年6月1日

八十岩橋(加古川市平荘町池尻)

景行〈けいこう〉天皇の皇后〈こうごう〉、稲日大郎姫命〈いなひのおおいらつめのみこと〉を葬る〈ほうむる〉日岡山と、加古川をへだてて向かいあっている山は池尻〈いけじり〉の升田山〈ますだやま〉です。この山の東端、北斜面にあたって、階段〈かいだん〉のようになった岩があらわれ出ています。下から見あげますと、まるで、大きな石段〈いしだん〉のようです。なにごとにもおおらかで素朴〈そぼく〉であった古代人〈こだいじん〉は、天上の神様がこの石段によって大地へおり、また、天上へ帰っていかれるのだろうと思いました。今から、一千二百年前にできた『播磨国風土記〈はりまのくにふどき〉』を見ますと、“石の橋あり。伝え云へ〈いへ〉らく、上古〈いにしえ〉の時、この橋、天に至り〈いたり〉、八十人衆〈やそひとたち〉、上り下りて往来〈ゆきかい〉しき。故〈かれ〉、八十橋〈やそばし〉と云う〈いう〉。”と書いています。
また、江戸時代のはじめ、林羅山〈らざん〉のあらわした『神社考』には、“八十橋は陰陽〈いんよう〉の二神、および八十二神の降跡〈こうせき〉”と記し〈しるし〉ており、前大納言顕朝〈ぜんだいなごんあきとも〉も、雪降れば天の羽衣〈はごろも〉しろたへに風さへわたる八十〈やそ〉の岩はし(夫木集〈ふぼくしゅう〉)と詠んで〈よんで〉います。

(『播磨風土記』)

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