ホーム > 学校・授業の教材 > 郷土の民話 > 『郷土の民話』東播編 > 弁財天(稲美町国安)
ここから本文です。
更新日:2012年6月1日
ひろびろと丘陵〈きゅうりょう〉の続く東播には、いたるところに溜池〈ためいけ〉が掘られ、潅漑〈かんがい〉用水にあてられています。稲美〈いなみ〉町国安の大池は、その名のしめすとおり、東播屈指〈くっし〉の大きさで、まんまんと水をたたえた姿には、何かしら神秘的〈しんぴてき〉なものを感じます。
この池の西に、産土神〈うぶすなかみ〉の天満〈てんま〉神社があります。たいへん見晴しのよい地で、この地へ足をはこんだものが、一度はかならず杖〈つえ〉をやすめるところです。
創立〈そうりつ〉は、古く孝徳〈こうとく〉天皇の白雉〈はくち〉四年(六五三)、王子権現〈ごんげん〉をまつったのが最初で、のち、菅原道真〈すがはらみちざね〉が九州下向〈げこう〉の途中に立ち寄ったというので合祀〈ごうし〉し、その後、さらに、弁財天〈べざいてん〉をまつりました。これについて、次のような物語がつたえられています。
今から六百年近いむかし、明徳〈めいとく〉元年の正月に、上方〈かみがた〉から一人のお坊さんがくだってきました。天満神社の前まできますと、「なんという景勝〈けいしょう〉の地だ。ここに、しばらく休むことにしよう。」といって、境内の一隅〈ぐう〉に逗留〈とうりゅう〉しました。朝になりますと、広い大池の水面が日の光りでまぶしくかがやき、昼になると、南から西に続く印南野のひろびろとした景色が心をのどかにしてくれます。お坊さんは、この風情〈ふぜい〉が気に入ったのか、容易〈ようい〉に旅立とうとしません。
ところが、このころ、ふしぎなことが起こりました。毎夜のように大池の底が光り、魚が腹を背にして浮き上るのです。村人は困って、このことをお坊さんに話しました。
すると、「池に弁財天〈べざいてん〉をまつっているか。」と、逆〈ぎゃく〉に質問されました。
「まだ、まつっていません。」と答えますと、「それはいけない。このような大池には竜がすむものだ。
夜な夜な光るというのも、魚が死ぬというのも、すべて、その怒りのあらわれだ。早く、島を築き〈きずき〉、弁財天〈べざいてん〉をまつれ。」とおしえられました。
村人は、さっそく総出〈そうで〉で工事に取りかかり〈とりかかり〉、おしえられたとおりの島をつくり、弁財天〈べざいてん〉をまつりました。
これ以後、村はふたたび平和な日を送るようになりました。
(『兵庫県神社誌』中巻)
お問い合わせ