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ホーム > 学校・授業の教材 > 郷土の民話 > 『郷土の民話』東播編 > 桝〈ます〉とり彦六〈ひころく〉(小野市小田下町)

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更新日:2012年11月19日

桝〈ます〉とり彦六〈ひころく〉(小野市小田下町)

箕〈み〉でさばかれた米がサーッと一直線にますの中へ落ちこみ、小さな山がたを作りました。
はたして、これでますがいっぱいになるかどうか。みんなは彦六じいさんの手もとをじっと見つめています。こえはおろか、せきをする者もいません。じいさんは、なれた手つきでトボ(米をならす丸い棒〈ぼう〉)をとりあげました。静かにますの角〈すみ〉にあて、手まえの方へスーッとひき、おわると同時にますの腹をかるくトンとたたきました。ほんのわずか、何十つぶかの米がパラパラとむしろの上に落ちました。息をつめ、身うごきもせずに見まもっていた人びとから、ホーッと思わずため息がもれました。そして、何分、いや何秒かののち、ワーッと、じいさんに拍手〈はくしゅ〉をおくりました。

ここは、下小田〈しもおだ〉村の若宮〈わかみや〉神社の境内〈けいだい〉。三草藩〈みくさはん〉(江戸時代、加東郡社町にいた大名)の役人たちがやってきて、年貢米〈ねんぐまい〉(百姓〈ひゃくしょう〉たちが領主へおさめる米)のけんさをしているのです。米の品質〈ひんしつ〉からます目(量)、たわらの作りかたまできびしくしらべています。何百俵〈ぴょう〉もつみあげた中から抜きとりけんさをするのです。とくに、今年は気候がわるく収穫量〈しゅうかくりょう〉が少なかったので、役人たちはきびしく目を光らせ、百姓たちはびくびくしていました。夜もねむらず、それこそ一つぶずつよりわけるように作った俵〈たわら〉ですから、これをつきかえされるともう出す米はありません。

品質けんさもぶじにすぎ、やがて、二十俵〈ぴょう〉あまりのたわらがえらび出されました。量があるかどうかはかるのです。このうち一俵〈ぴょう〉でもたりなければ、ぜんぶの俵〈たわら〉について不足した米をさし出さねばなりません。役人によって一俵、二俵とはかられていき、いよいよさいごのたわらにこぎつけました。
役人は、手ぎわよくますへ米を移しましたがわずかにたりないのです。約二合〈ごう〉(三・六デシリットル)ほどでしょうか。人びとがざわめきはじめました。この一俵のために、みすみすたくさんおさめねばならないのですからむりもありません。
百姓〈ひゃくしょう〉たちの不満が頂点にたっしようとした時、後ろの方から声がきこえました。
「そんなはずはない。はかりかたが下手〈へた〉くそなからや。」
役人の目がキラリと光りました。みるみる顔をまっかにしながら、声のした方をにらみつけてどなりました。
「だれだ、前へ出てこい。」
人がきをわけて出てきたのは彦六じいさんでした。見るからにヨボヨボの小さな老人ですが、村いちばんのますとり(はかり上手〈じょうず〉)といわれていました。
「これはえろすんまへん。お役人さん、もういっぺんはかっておくんなはれ。」
じいさんはペコリと頭をさげてたのみました。その時、神社の縁〈えん〉がわに腰をかけていたいちばんえらい役人が、目で合図をしました。はかりなおしをことわって、百姓たちがさわぎはじめるのを心配したのでしょう。
「よし、もう一度はかってやる。よく目をあけて見ておれ。」
役人はプンプンしながらますに米を入れはじめました。このころのたわらは五斗〈と〉(九十リットル)入りです。ますは一斗〈と〉(十八リットル)。一ぱい二はいとみごとな手さばきではかり、いよいよ五はい目にかかりました。残った米を一つぶもこぼさず流しこみました。やはり二合ほどたりません。
「これを見ろ。」
役人はかちほこったようにふりかえりました。じいさんはニコニコしながらいいました。
「そんなら、わしがはかってみまほか。よろしおまっか。」
こんなことから、彦六じいさんがはかりなおしをすることになったのでした。とにかく、量はりっぱにあったのです。じいさんのおかげで、百姓たちはよぶんの米をおさめなくてすみました。

米は、はかり手〈て〉によってかなり量がちがうものなのだそうです。そして、どんなにうまい人がはかっても、なぜか二度〈ど〉目はかならず不足するものときまっていました。同じ米をもう一度、つまり、三度目にはかると十分にあったとつたえています。

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