ホーム > 学校・授業の教材 > 郷土の民話 > 『郷土の民話』東播編 > 「ほのぼのと」の歌―柿本人麿―(明石市)
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更新日:2013年2月25日
明石の海岸は、白い砂浜〈すなはま〉がつづき、枝ぶりのよい松林があり、明石海峡〈かいきょう〉をへだてて、姿の美しい淡路島〈あわじしま〉があるので有名でした。
柿本人麿〈かきのもとのひとまろ〉は、天皇から『たかぬ火の灰〈はい〉』という題〈だい〉で、歌をよむようにいわれ、一晩中〈ひとばんじゅう〉明石の浦〈うら〉をさまよっていました。たき火もしないのに、どうして灰ができるのであろうか。たき火をしないで、灰があるというのは、どういう意味〈いみ〉であろうかなど考えながら、むずかしい顔〈かお〉で歩きまわり、とても歌はできないから、海へ入って自殺〈じさつ〉しょうかとも思ったりしていました。
しょんぼり立っていると、一人の白髪〈しらが〉の老人〈ろうじん〉が、舟で人麿のところへよってきました。そして、
「なぜ、そんなにむずかしい顔をしているのか、心配〈しんぱい〉ごとでもあるのか。」と、たずねました。
人麿が、こまっているわけを話すと、老人は、「自分ならば、こうよむのだが。」と、「よもすがら。」と、静かにいってくれました。人麿はしばらくして、一首〈いっしゅ〉の歌をつくりあげました。
「よもすがら 沢井〈さわい〉にもゆる ほたる火の
あくれば草に はひかかるらん」
人麿はたかぬ火をほたるの光と解〈と〉いて歌をよみました。
「一晩中〈ひとばんじゅう〉、水辺〈みずべ〉をとびまわっている蛍〈ほたる〉も、夜があけて朝になると、草の上をはいまわっています。」と、いう意味〈いみ〉です。
人麿は、歌のできた喜〈よろこ〉びを、老人に話し、お礼〈れい〉をいおうとしました。しかし、あたりを見わたしましたが、老人の姿は見えません。ふと、沖〈おき〉を見ると、老人を乗〈の〉せた舟は、朝ぎりの中にきえようとしていました。
「ほのぼのと あかしの浦〈うら〉のあさぎりに
しまがくれゆく 舟をしぞ思う」
の歌は、このとき、思わずよんだものと思われます。
(日本伝説叢書「明石の巻」から)
ほのぼのとの歌は、古今集〈こきんしゅう〉に、「よみ人知〈びとし〉らず」としてのせられています。今昔物語〈こんじゃくものがたり〉には、小野篁〈たかむら〉がよんだ歌としてのっています。
しかし、むかしから、人麿が明石でよんだ歌として、この話とともに全国にせんでんされ、そのように信じられてきました。
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