ホーム > 学校・授業の教材 > 郷土の民話 > 『郷土の民話』東播編 > 赤石(明石市)
ここから本文です。
更新日:2012年6月1日
むかし、有名な大国主命〈おおくにぬしのみこと〉が、明石の北にある神出〈かんで〉にこられ、雄岡〈おっこう〉・雌岡〈めっこう〉の山から南をながめて、「おお、あかし」と、そのけしきの明るさをほめられたので、「あかし」という地名が生まれたといいます。
日本武尊〈やまとたけるのみこと〉が、西国遠征〈さいごくえんせい〉の道すがら、大蔵谷〈おおくらだに〉の山から、明石海峡〈かいきょう〉、あわじ島をながめ、「おお、あかし」と、思わずおっしゃったので、地名になったともいっています。この地方の土の色が赤く、海岸の感じが明るかったから、明石の地名が生まれたのでしょう。
また、こんな話ものこっています。
明石の北に雄岡山〈おっこうさん〉・雌岡山〈めっこうさん〉があります。ここに、狩人夫妻〈かりうどふさい〉がすんでいました。夫の狩人は毎日のように、海をわたって、小豆島〈しょうどしま〉にすむ美しい女のもとへ、通いつづけていました。
ある日、あなたが死ぬゆめを見たから、きょうは、小豆島へ行かないでください。」と妻がとめました。しかし、妻のねがいをふりきって、大鹿に乗って小豆島へ向かいました。
青い海、白波をけって進む鹿を見た林崎に住む狩人は、丘の上から矢をはなしました。矢は、あっというまに鹿にあたり、雄岡山の狩人もいっしょに、おぼれて死んでしまいました。この鹿が赤石となって、藤江・松江の沖にあるとつたえられています。
また、林神社の神さま小童海命〈わだつみのみこと〉が、林の海岸にある大きな赤石の上にあらわれたといいます。
この赤石は成務〈せいむ〉八年(一三八)大暴風雨にあい海の中にしずみました。その石が、今の赤石とつたえられています。四月三日ごろは、「赤石見」といって、たくさんの人たちが、見物にきました。天正九年(一五八一)羽柴秀吉〈はしばひでよし〉も、この赤石を見ました。この赤石付近は、船の難所〈なんしょ〉でしたので、文化七年(一八一〇)には、徳本上人〈とくほんしょうにん〉がきておいのりをしました。
この赤石から「明石」の地名がおこったと、信じられています。
(明石市郷土史、播磨国風土記逸文・林崎村誌・明石市三十年史から)
お問い合わせ