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ホーム > 学校・授業の教材 > 郷土の民話 > 『郷土の民話』東播編 > 菅原宗賢〈すがはらそうけん〉の話(三木市大塚)

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更新日:2013年2月11日

菅原宗賢〈すがはらそうけん〉の話(三木市大塚)

北条時頼〈ほうじょときより〉の時代というと、ずいぶん昔の話です。大塚というところに菅原宗賢〈すがはらそうけん〉というお医者がいました。この人はただの医者ではなく百姓のために恵美須〈えびす〉駅裏の「池の内」に池を掘った人でした。宗賢池、なまって、「そうけ池」と呼ばれています。

宗賢はまた、旅行ずきで、ひまさえあれば名所旧跡〈きゅうせき〉をたずねて旅し、歌を作ったりすることを楽しみにしていました。あるとき、姫路まで出かけての帰りに「石の宝殿〈ほうでん〉」で一人の旅僧〈たびそう〉と出合いました。道づれになった二人は、いろいろの話をかわしているうちに、どちらともなく心をよせあうようになりました。
「ここまでくれば、私の町も近いですし、ちょうど祭りに間にあいますからお急ぎでなければ、ぜひおいでください。」
と、さそいました。旅の僧も、
「それじゃひとつ、おことばにあまえてごやっかいになりましょう。」
こうして旅の僧は三木まで足をのばし、しばらく宗賢の家にわらじの紐〈ひも〉をときました。祭りもすんで旅僧が、
「ながらくお世話になりました。」
と、いとまごいを申しますので、宗賢は、
「私もひまですし、久しぶりに明石見物もしたいところですから、そこまでごいっしょしましょう。」
こうしてまた、二人の旅がはじまるのですが、話がはずんで、もう少し、もう少しと別れをのばしているうちに箱根〈はこね〉をすぎ、鎌倉〈かまくら〉の手前まできてしまいました。
二人はそこで宿をとりましたが、旅僧は、紙に馬と駕篭〈かご〉をえがき、
「どっちがよいか。」
と、いうのです。宗賢は、
「駕篭がよろしうございますね。」
と、答えました。朝になって、旅僧が、
「ここまでくれば、わしの家も同然。わしもお宅〈たく〉でながらく遊ばせていただいたから、こんどはわしの家で、ゆっくりしてくれるように。」
宿を出てしばらくすると、東の方から、いかめしい行列〈ぎょうれつ〉が進んできます。
「あの行列はりっぱですね。どなたの行列でしょうか。」
と、たずねると旅僧は、
「あれは、わしを迎〈むか〉えにきたのだよ、あなたは、あの駕篭に乗ってもらいましょう。」
と、すすめました。宗賢は思いがけなく、駕篭で鎌倉のおやかたまでつれてこられました。そこではじめて旅の僧が時頼入道〈にゅうどう〉さまであったとわかって、冷〈ひ〉やあせをかく思いでした。頭を低くして、無礼〈ぶれい〉のかずかずをおわびいたしました。時頼は、
「いやいや、こちらこそお世話になったのだから、そんなにえんりょうは無用じゃ。また何か望みがあれば申し出られよ。」
宗賢はしばらく考えていましたが、思い切って申しました。
「私の住む三木はあまりゆたかでございません。租税〈そぜい〉を免除〈めんじょ〉していただければ、百姓や町の人びとにとってこんなしあわせはないと思います。」
宗賢のことばに、じっと耳をかたむけていた時頼は、
「ああ見上げたものじゃ。自分だけのことを考えないで、民百姓〈たみひゃくしょう〉のしあわせを願っている。」
と、感心なさって、ただちに「三木を免租地〈めんそち〉にする。」という書つけを彼にあたえました。
ありがたいおみやげを持って勇〈いさ〉んで帰り、喜びを分ちあいました。

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