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ホーム > 学校・授業の教材 > 郷土の民話 > 『郷土の民話』東播編 > 橋のお地蔵〈じぞう〉さん(小野市高田町)

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更新日:2012年8月13日

橋のお地蔵〈じぞう〉さん(小野市高田町)

小野市高田町字〈あざ〉いでんど。ここの小道のそばに五、六十センチメートルほどのお地蔵さんがあります。年中、花がたえたことはありません。このお地蔵さんはいわば、橋のお地蔵さんのありかを知らせる、道しるべのお地蔵さんです。このお地蔵さんのすぐ前に、ひとまたぎできるほどの小さな溝〈みぞ〉があります。その溝〈みぞ〉に、別に五、六十センチメートルほどの茶褐色〈ちゃかっしょく〉の石が橋のようにかかっています。これが実は、うつ伏せになった橋のお地蔵さんです。霊験〈れいげん〉あらたかなお地蔵さんで、近くの村や町はいうにおよばず、遠くは阪神間からもお参りがあるといいます。とくに腰痛〈こしいた〉で苦しんだ人が、素足〈すあし〉参りでこの橋のお地蔵さんの腰をふみ続けるとなおったとか。赤ちゃんに飲ますおちちがよく出るようになったとか。いぼをよく取ってもらったとか。村のなかだけでも数えきれないほど多くの人が、ご利益を受けたといわれています。

そのむかし、このあたりにひとりのおばあさんが住んでいました。働き者でしたが子どもがなく、淋〈さび〉しい日を送っていました。そのころ、おばあさんの家から少し離〈はな〉れた、いでんどに、ひとまたぎできるほどの小さな溝〈みぞ〉が流れていました。ときどき村人がこの溝〈みぞ〉をまたいで通るぐらいの淋しい所でした。その溝〈みぞ〉のそばに、だれがおまつりしたのか、お地蔵さんが立っています。お地蔵さんというのも名ばかりで、わずかに地蔵の形だけを線でほりこんだ、お粗末なものでした。そのためか、村人にもあまり知られずお参りもありませんでした。
「お地蔵さん、あなたはひとりぼっち。わたしもひとりぼっち。これから仲よくしておくれ。」
おばあさんは子どものない淋しさから、毎日子どもに出会うかのように、お花とお供え物を持っておまいりすることを、ただひとつの楽しみにしていたのです。

このおばあさんも年には勝てませんでした。腰痛がはげしくなり、とうとう歩くことができなくなってしまいました。そんなある日の夕方、
「きょうは、だいぶん気分が良いわい。そうそう、お地蔵さんにお参りしてこよう。」
おばあさんはやっと腰を伸ばし、竹をつえに出かけました。ちょうど夕日がお地蔵さんの後ろから照り、秋も静かに暮れようとしていました。
「お地蔵さんきましたよ。長い間さびしかったでしょう。まあまあこんなにほこりがつもって…。わたしも腰さえなおれば、毎日でもきてあげられるのに。許してくだされや。」
おばあさんは話しかけながら、お地蔵さんのからだ中をふいてあげました。
「おやおや、もう日が暮れるわい。帰らなくちゃ。腰が痛くてなんどもこられぬが、…またきますで。」
腰のあたりを両手で押えのびあがろうとしました。ところがどうしたことか、きた時わたることができたこの溝が、どうしてもわたることができません。
「これは困った。腰が痛くてまたげられんわい。帰ることもできんがどうしよう。」
そういい終わらないうちに、これを見ておられたお地蔵さん、
「おばあさん、わたしがお渡ししてあげましょう。」
そういったかと思うと、お地蔵さんはその溝の上にうつ伏せになられました。お地蔵さんの橋ができたのです。
「さあ、お渡りください。」
おどろいたおばあさんは、しばらく口がきけませんでした。
「めっそうもないこと、そんなもったいないことが、どうしてできましょう。さあさあ、お立ちください。」
「いえいえ、これでいいのです。わたしも長い間こうして立っていると、腰が痛くなってきました。おばあさん、ついでにしっかりとわたしの腰をふんでください。」
おばあさんは、「もったいない、もったいない。」といいながら、わらぞうりをぬいで素足になりました。そしてお地蔵さんの腰のあたりをふんで、そっと向こうへ渡ったのです。
「ごめんなされや、お地蔵さん。痛かったでしょうに。ああ、もったいないことをした。」
そういいながらお地蔵さんの腰のあたりを両手でなでると、これはまたどうしたことか、おばあさんの腰はすっくとのび、いままでの痛さもすっかりなくなってしまったのです。喜んだおばあさんは、なんどもなんどもお礼をいって帰っていきました。
次の日、元気になったおばあさんは、たくさんのお供〈そな〉え物と、美しいお花を持ってお礼まいりにやってきました。でもお地蔵さんはきのうと、同じようように橋になったままです。次の日もお地蔵さんはとうとうお立ちになりませんでした。おばあさんはその後も、おまいりすることを欠かさず、いつも美しいお花をお供えしつづけました。そして出会う人ごとに、橋のお地蔵さんのご利益〈りやく〉を語りつづけたのです。
おばあさんは長生きしてなくなりました。人びとはおばあさんの教えのとおりおまいりして、ご利益〈りやく〉をいただいたのです。

橋のお地蔵さんの話は、遠い村や町まで伝わりました。おばあさんがなくなってからも、お地蔵さんの花が絶えたことはありませんでした。やがて、いつの間にか、橋のお地蔵さんのそばに、別の小さなお地蔵さんが立てられました。きっと橋のお地蔵さんのありかを教えるためでしょう。遠くの人びとは、この道しるべのお地蔵さんのおかげで、おまいりするのに大へん助かりました。
近ごろのこと、この橋のお地蔵さんが心ない人によってぬすまれました。しかし、お地蔵さんのお夢見せがあって、「高田のいでんどに帰りたい。」とのことで、ふたたび高田に納められました。それがきょうまで、ずっとおまつりしているお地蔵さんです。

  • 昭和四十五年、この道の拡張工事のため、橋はおこされました。町の人びとは物語のようなお地蔵さんの掘り物が事実であることをたしかめました。すぐそばの田のあぜに、道しるべのお地蔵さんとともにうつし、いまもおまつりをしています。

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