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ホーム > 学校・授業の教材 > 郷土の民話 > 『郷土の民話』東播編 > 行基〈ぎょうき〉とエイ(明石市大久保町江井ケ島)

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更新日:2013年3月11日

行基〈ぎょうき〉とエイ(明石市大久保町江井ケ島)

むかし、江井ケ島〈えいがしま〉を「嶋〈しま〉」と呼んでいました。
この「嶋」にこられた行基〈ぎょうき〉というお坊さんは、この村がゆたかになるために、よい港〈みなと〉をつくろうと決心されました。行基は、村びとに、このことを話し、協力をよびかけられました。そして、自分から先に立って、衣〈ころも〉のすそをからげ、モッコをかついで、防波堤〈ぼうはてい〉づくりに汗〈あせ〉を流しました。
このあたりは、しおの流れの速〈はや〉いところです。せっかくつくられた防波堤も、何回となく流されました。しかし、流されても、きずきつづけました。行基は、一心に仏〈ほとけ〉さまにも、おいのりしました。こうして、港は、天平〈てんぴょう〉六年(七四四)にできました。

新しくできたりっぱな港をながめ、村びとたちはたいそう喜びました。行基は、港をまもる仏さまとして、地蔵菩薩〈じぞうぼさつ〉をほり、海上の安全を一晩中〈ひとばんじゅう〉、村びとと共にいのりました。
夜あけ前行基は、港で水あびして、仏さまに感謝のおいのりも終わりに近づいたころです。
なにげなく港に目を移した村びとのひとりが、新しい港のなかをゆうゆうと輪〈わ〉をえがいている大きなヒシ形のものを発見しました。それは、平べったい魚のようにも見えます。長い尾もついているようです。
村びとたちは、たいへんおどろきました。よく見ると、それは、たたみ二枚ほどの大きな赤エイです。村びとたちは、わいわいさわいで、気味悪〈きみわる〉いエイを追〈お〉いはらおうとしましたが、いっこうに去〈さ〉ろうとしません。
行基は、このありさまをみて、みんなを静め、
「港ができたおいわいに、仏〈ほとけ〉さまがおつかわしになったのだろう。見なさい。わたしの前まできて、おとなしくよろこんでいるではないか。」
と、いわれました。そして、エイに酒をのませてやりました。エイは、行基をおがんで、満足そうに沖〈おき〉へ帰っていきました。

このことがあってから、だれいうとなく「エイが向かってくる嶋―鰈向嶋〈えいがしま〉」と、呼〈よ〉ぶようになったそうです。今、長楽寺〈ちょうらくじ〉の仏具〈ぶつぐ〉には、「鰈向嶋玉林山長楽寺〈えいがしまぎょくりんざんちょうらくじ〉」の字〈じ〉がのこっています。
行基は、港をつくるだけでなしに、あちらこちらに井戸〈いど〉をほられました。これらの井戸は、どれもよい清水がこんこんとわき出ました。田や畑には、もちろんのこと酒づくりにもよい水でした。
鰈向嶋は「えい水が出る井戸のある嶋。」と、舟乗りたちにも、もてはやされました。これがつまって「えい(井)が嶋」となり、「江井島」になったともいわれています。

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