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ホーム > 学校・授業の教材 > 郷土の民話 > 『郷土の民話』東播編 > 海士塚〈あまづか〉(明石市大明石町)

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更新日:2013年2月11日

海士塚〈あまづか〉(明石市大明石町)

昭和二十年の空襲〈くうしゅう〉まで、明石川の川口のほとり、無量光寺〈むりょうこうじ〉の裏〈うら〉に、小さな塚〈つか〉があり、一株〈かぶ〉の松が残っていました。これを「海士塚〈あまづか〉」とか、「男狭磯〈おさし〉の塚」と呼〈よ〉んでいました。

むかし、允恭〈いんぎょう〉天皇が、淡路島にえものがたくさんいることをお聞きになって、狩〈か〉りにいかれたことがありました。鹿〈しか〉・さる・いのしし・うさぎなどが、野や山にうようよしていて、鹿の角〈つの〉は、まるで林のようでした。朝から晩〈ばん〉までけものを追い、矢を放っても、一ぴきもえものにすることができません。それで、ふしぎにお思いになり、うらない師〈し〉にうらなわせることになりました。
すると、「けものをとることができないのは、“自分の心”にある。明石の海底〈かいてい〉にある真珠〈しんじゅ〉をとり、自分にそなえたら思うぞんぶんえものはとれるだろう。」と、淡路の島の神さまのおつげが、ありました。

天皇は、さっそく大ぜいの海士〈あま〉たちを集めて、明石の海底をさがさせました。しかし、潮〈しお〉の流れが速く、しかも、深いのでだれひとりとして、海底までもぐることはできません。天皇は、役人たちを四方に走らせ、息〈いき〉の長い海士〈あま〉をさがさせました。そのかいあって、阿波〈あわ〉の国の海士〈あま〉で、おさしという人がえらび出されました。
役人から今までのことを聞いたおさしは、天皇の願いを一身にうけて、明石海峡の海底めざしてもぐりました。海の底〈そこ〉をあちらこちらさがすと、たしかにピカピカと、光るものがありました。
近よってよく見ると、大きな大きなあわび貝の中から、光がもれているのでした。
おさしは、浮びあがってそのことを報告しますと、
「島の神さまのおつげの真珠にちがいない。いそいでその光るものをとってくるように。」
との天皇の命令です。
おさしは、つかれた身体〈からだ〉をやすませるひまもなく、また、もぐりました。しばらくして、その大あわび貝をかかえて浮きあがってきました。舟の中から、どっと、よろこびの声があがりました。しかし、それと同時におさしは息がたえて、死んでしまいました。

さっそく、大あわびを開いてみると、すばらしい真珠がでてきました。その大きさは、桃〈もも〉の実〈み〉ほどもある美しいものでした。
これを、島の神のほこらにそなえ、狩〈か〉りをすると、たくさんのえものがとれたということです。
天皇は、えものの多いのをよろこばれましたが、そのために死んだおさしをおしんで、この地に海士塚をつくられたと、つたえられています。

(明石市郷土史・日本書記から)

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