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ホーム > 学校・授業の教材 > 郷土の民話 > 『郷土の民話』東播編 > 円満寺再興〈えんまんじさいこう〉(中町)

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更新日:2012年12月17日

円満寺再興〈えんまんじさいこう〉(中町)

「仏〈ほとけ〉さまのご加護〈かご〉によって、悪事〈あくじ〉や災難〈さいなん〉をのがれさせていただき、きょうも無事〈ぶじ〉にすごすことができました。心からお礼〈れい〉を申〈もう〉します。」
明覚〈みょうかく〉上人は、いつものように仏さまに向かって、きょう一日のできごとをみんな報告〈ほうこく〉し感謝〈かんしゃ〉をして夜のおつとめを終りました。そして、床〈とこ〉につき、しばらくして深〈ふか〉いねむりに落〈お〉ちていきました。
ふいに目の前があかるくなったので、思わず顔〈かお〉をあげてみますと、萬師如来〈まんしにょらい〉という仏さまが美しいお姿〈すがた〉をあらわされて、
「明覚〈みょうかく〉、お前は明日〈あす〉から播磨国〈はりまのくに〉の吉祥山円満寺〈きっしょうざんえんまんじ〉へ行け、そしてその寺をりっぱにたてなおせ。」と、命令〈めいれい〉され、お姿をおかくしになりました。それは一瞬〈いっしゅん〉のできごとでしたが、如来さまの美しいお姿は明覚上人の頭のなかにしっかりとこびりついてしまいました。
上人は夜の明けるのをまって、長く住〈す〉みなれた河内国〈かわちのくに〉をあとにして、まだ見たこともない播磨国の吉祥山円満寺へと急〈いそ〉ぎました。それは慶長〈けいちょう〉十四年四月四日のことで、今から三百七、八十年ほど前のことです。

着〈つ〉いてまず驚〈おどろ〉いたことには、円満寺とは名のみで、柱〈はしら〉はかたむき、屋根〈やね〉は落〈お〉ちそうでペンペン草がしげり、境内〈けいだい〉は草がぼうぼうと生〈は〉え、まるでゆうれい屋敷〈やしき〉のように荒れはて、だれ一人として寺へ参〈まい〉ってくる者はいませんでした。
この寺も、そのときから八十年ほどむかしの大永〈たいえい〉年間には、このふきんのどこの国にもないりっぱなとても大きな寺でしたが、大火事にあい、すっかり焼け落ちてしまい、たった一つ焼けのこったつり鐘〈がね〉も同じ国の田高村へ売ってしまいました。(このつり鐘は今も黒田庄町田高にのこっています)
またたくさんあった山林〈さんりん〉や竹林〈ちくりん〉、田畑〈たはた〉も次次〈つぎつぎ〉に売〈う〉ってしまい、いつのまにか何一つない貧乏寺〈びんぼうでら〉となってしまいました。
けれど上人は少しも気を落〈おと〉さず、「如来さまは、わたしのほんとうのちからをここでおためしになっているのだ。」そう悟〈さと〉って信仰〈しんこう〉の道〈みち〉に一生〈いっしょう〉けんめいにはげみました。「朝は朝星〈あさぼし〉をいただいて夜は夜星をいただいて」ということわざのとおり、朝早くから夜おそくまでかけずりまわり、一人でも多くの信者〈しんじゃ〉をあつめるための努力〈どりょく〉をしました。
やがて、その苦労〈くろう〉がみのり、わずかずつですが信者も寺へ参ってくるようになりました。

そんなある日のことです。姫路城〈ひめじじょう〉の池田三左衛門〈いけださんざえもん〉から、上人のもとへ一通〈いっつう〉の手紙〈てがみ〉がとどきました。それによると、姫路城に毎夜恐〈まいよおそろ〉しい怪獣〈かいじゅう〉があらわれてたくさんの人たちが苦〈くる〉しめられているので、何とかしてそれを救〈すく〉ってくれるように、との手紙でした。
「困〈こま〉っている人たちをたすけるのは、仏さまに仕〈つか〉えるわたくしたちの大事〈だいじ〉なつとめです。」と、上人はすぐに姫路城へと急ぎました。
姫路城では、怪獣退治〈たいじ〉にはあらゆる手をつくしてきましたが、どれも失敗〈しっぱい〉してしまい、すっかり困りきっているところでした。
上人はさっそく、身〈み〉を清〈きよ〉めて天主閣〈てんしゅかく〉に登〈のぼ〉り、仏さまの力をかりて怪獣をはらいのける祈〈いの〉りを始〈はじ〉めました。断食〈だんじき〉をして、一心〈いっしん〉にくる日もくる日も祈りつづけました。
さすがの上人も、目はくぼみ、ほほの肉〈にく〉はすっかり落ち、日に日にやせおとろえて生きた人とは思えぬほどに変っていきました。けれど、目の玉〈たま〉はするどい光〈ひかり〉を放〈はな〉ち一点〈てん〉をにらみつけたままびくとも動〈うご〉かず、仏さまを祈るその声は、何〈なに〉ものをもつらぬきとおすようなきびしいひびきをもっていました。
やがて、いく日かがすぎて、上人は天守閣からおりてきました。
「もう大丈夫です、怪獣は仏さまの力をかりて退治いたしました。」そう答えると、上人は円満寺へと帰っていきました。
姫路城には、それ以来〈いらい〉、怪獣は姿をあらわさなくなりました。

池田公は、さっそく円満寺に上人をたずね、礼をのべて、感謝〈かんしゃ〉のしるしとしてたくさんのお金や山林や竹林、田畑を円満寺へお供〈そな〉えしました。
世間〈せけん〉ではその話が話題〈わだい〉になり、上人の徳〈とく〉をしたっておおくの信者がぞくぞくとあつまってくるようになり、円満寺はみるみるうちに、大永年間に焼けたころよりずっと大きくりっぱになりました。
如来さまのご加護があったればこそと、深く感謝しながら明覚上人はりっぱになった寺をみあげて、若いころ夢のなかでみた萬師如来の美しい姿を思いうかべていました。
この吉祥山円満寺はその後火事にあいましたが、今も中町西安田にあります。

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