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ホーム > 学校・授業の教材 > 郷土の民話 > 『郷土の民話』東播編 > 日岡山と加古の里(加古川市氷丘)

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更新日:2013年1月28日

日岡山と加古の里(加古川市氷丘)

加古川市は、どこへいっても高い山というのがありません。ことに、加古川左岸の地は、広い三角洲〈さんかくす〉と、洪積層〈こうせきそう〉や第三紀層〈きそう〉がひろがって、ひろびろとした平原風景が見られます。
むかし、ある天皇が、はるばるこのあたりまで行幸〈ぎょうこう〉されました。あたりは、いちめんに木や草が生え茂っていましたので、供〈とも〉の人をつれて狩に出られました。
平野の北方には低い岡が続いています。一行がこのふもとまできたとき、一匹〈ぴき〉の鹿がとび出しました。みんな大よろこびで鹿を追い、つかまえようとしました。すると、鹿は、「ひひ。」とないてこの岡にのぼり、姿を消してしまいました。これ以後、このおかを「ひひの岡」と呼び、それがつまって「ひのおか」となりました。村の名につかわれた「氷丘〈ひおか〉」山の名を記す「日岡〈ひおか〉」は、いずれも、このことば・・・を文字にあらわしたものです。

また、この丘の形が「鹿の子」に似ているというところから「鹿子〈かこ〉」と呼び、あたりを「鹿子の里」と名づけました。「賀古〈かこ〉の里」あるいは「加古〈かこ〉の里」という文字が使われるのは、それより後〈あと〉のことです。

(『播磨国風土記』)

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