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ホーム > 学校・授業の教材 > 郷土の民話 > 『郷土の民話』東播編 > 上人魚〈しょうにんうお〉(加古川市野口町野口)

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更新日:2012年10月22日

上人魚〈しょうにんうお〉(加古川市野口町野口)

萬葉歌人〈まんようかじん〉に親しまれた“印南国原〈いなみくにばら〉”の西端が、ゆるやかな坂となって加古川平野へおりていくところに“野口”というところがあります。“印南野〈いなみの〉へ入っていくのはここからだ”という意味からつけられた名です。

青丹〈あおに〉よし 奈良の都は咲く花の におうがごとく 今さかりなり

とうたわれた奈良と、九州の大宰府〈だざいふ〉とをつなぐ築紫大道〈つくしおおみち〉は、そのころ、官人〈かんじん〉の往来〈ゆきき〉で賑〈にぎ〉わっていました。野口は、播磨〈はりま〉でいちばん栄えたこの街道の宿駅で、『播磨風土記』には「駅家里〈うまやのさと〉」と載〈の〉せられ、清少納言〈せいしょうなごん〉の『枕〈まくら〉の草子〈そうし〉』には「駅家は野口」と記されています。

そのころ、この里〈さと〉に一人の聖〈ひじり〉が住んでいました。名を教信上人〈きょうしんしょうにん〉といい、その寺を念仏山〈ねんぶつさん〉教信寺といいます。上人は、附近の百姓が干〈かん〉ばつに苦しむのを見て、寺の南に大きな池を掘りました。ちょうど、駅家の前にあたっていたところから、「駅〈うまや〉が池」と呼ばれ、村人たちは水飢饉〈ききん〉から救われました。
上人〈しょうにん〉は、つねづね、まわりの人に仏教のおしえを説き、慈悲〈じひ〉を垂〈た〉れる者には善〈よ〉い報〈むく〉い、殺生〈せっしょう〉する者には悪い報いがあることを言い聞かせました。しかし、村人たちは、いっこうに教えを守ろうとしません。そして、平気で、池の魚をとって食べました。それどころか、しまいには、
「お上人さま、どうぞお召しあがりください。」
といって食膳〈しょくぜん〉にまでさしあげました。殺生を戒〈いまし〉め、慈悲〈じひ〉を説かれていた上人は、
「ああ、なさけない。」
と、心中、大きな溜息〈ためいき〉をつかれました。しかし、だまってその魚を食べ、終ると、駅が池へ行って吐〈は〉き出されました。すると、どうでしょう。一度、腹の中に入ったはずの魚がふたたび生魚となって池中を泳ぎはじめるではありませんか。村人たちはびっくりしました。そして、上人のえらさと、自分たちのおろかさに初めて気づき、すっかり殺生をやめました。

しかし、このとき以来、この池では片目〈かため〉の魚を見るようになりました。人びとは、これを“上人魚〈しょうにんうお〉”と呼んでいます。

(『教信寺寺記』)

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