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更新日:2012年6月1日

大蔵谷(明石市大蔵町)

この土地に楠〈くすのき〉の大木が茂って〈しげって〉、枝がのび、葉が大地をおおってくらかったので、「おおくらだに」と名が生まれたといいます。

稲爪神社〈いなつめじんじゃ〉の話によると、推古〈すいこ〉天皇のころ、三韓〈さんかん〉から鉄人〈てつじん〉を大将として八千人あまりが、都へ攻め〈せめ〉のぼろうとしたことがありました。明石の大蔵谷の海岸まで攻めてきたとき、伊豫〈いよ〉の国(四国)の越智益躬〈おちのますみ〉が、この地で、鬼指〈おにさし〉の矢で、討ちとり〈うちとり〉賊〈ぞく〉をたいらげました。このとき、黒雲が空一ぱいにひろがり、くらがりとなり稲妻〈いなづま〉がはしり、三嶋大明神〈みしまだいみょうじん〉があらわれて、越智益躬を守られたことが知られています。このことから「おおくらだに」の名ができたといいます。

中国の前漢〈ぜんかん〉の高祖皇帝〈こうそこうてい〉の皇子に、二人のらんぼう者がおりました。二人の皇子は、別別〈べつべつ〉の船にのせられて、中国からおいはらわれました。一人は九州に流れつき、一人は明石に上陸〈じょうりく〉して、この付近の領主〈りょうしゅ〉になり、「大闇〈おおくら〉の宿称〈すくね〉」の祖先〈そせん〉となったといいます。大闇の宿称の土地を「おおくらだに」というのだとつたえています。子孫〈しそん〉である大闇為氏〈おおくらためうじ〉のとき、天皇が、この地にこられ、「あかしという明るい地に住んでいながら、おおくらという名はおかしい。これから明月〈あきづき〉とせよ。」と、おっしゃいました。明月は秋の中秋の明月であることから、姓を「秋月〈あきづき〉」とあらため、秋月為氏〈あきづきためうじ〉といい、後に九州日向高鍋〈ひゅうがたかなべ〉藩主秋月氏の先祖となりました。

仁徳〈にんとく〉天皇のころ、この地に屯倉〈みやけ〉(朝廷の直轄領〈ちょっかつりょう〉で、穀物〈こくもつ〉をおさめる倉〈くら〉が、おかれたので、「大蔵」の地名が生まれたともつたえています。

また、ここはむかし、苧〈お〉(麻〈あさ〉)がつくられており、その苧〈お〉で、わらじの鼻緒〈はなお〉がつくられていたとつたえられています。
ある夏の夕ぐれ、弘法大師〈こうぼうだいし〉は、長い旅をつづけて、つかれてこの地につかれました。ふとしたことから、わらじの緒が切れてしまいました。こまって、村の人びとに、「緒をください」と、たのんだが、だれも緒をくれなかったので、「おをくれん谷」の名がはじまりました。そして、音〈おん〉がよくにているので、この「おをくれんだに」が、「おおくらだに」にかわったのだという話ものこっています。

(明石市郷土史・大蔵谷村史から)

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