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ホーム > 学校・授業の教材 > 郷土の民話 > 『郷土の民話』神戸編 > 野瀬〈のせ〉の大杣池〈おうづまいけ〉(兵庫区淡河町野瀬)

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更新日:2013年2月11日

野瀬〈のせ〉の大杣池〈おうづまいけ〉(兵庫区淡河町野瀬)

「おーい、池が切れたぞうー、大杣池〈おうづまいけ〉が切れたぞうー。」
泣き声のようなありったけの声を出した叫び声が、降りしきる風雨の中をつぎつぎと、山から村へと走っていきます。
きのうから降りつづいた豪雨〈ごうう〉は、風とともになかなか止みそうにありません。村の男たちは一人のこらず危険な大杣池へいき昼夜見はりをしていました。家の中にいる女や子どもたちは神棚にあかりをつけて、「池がぶじでありますように。」といっ心に神様に祈っていました。
「また池が切れたか、たいへんなことになり申したわい。わしらはどんな苦労がきてもかまわぬが、かわいそうなのは息子と娘よ、何の因果〈いんが〉かのう。」
おばあさんやお母さんは畳にひたいをすりつけて、声をあげて泣きました。

村の南の山頂から摂津〈せっつ〉の国境まで、えんえんとつづく高原の中に、村の全部の耕地をやしなう湖水のような、美しい水をたたえた大きな大杣池があります。
くずれやすい土のせいでしょうか、この池は昔からたびたび決壊〈けっかい〉しました。池が切れてはお米もできず、村の人は総出〈そうで〉で復旧工事にかかりきり、あげくのはてには村中はつかれきって、まずしい悲しい年が数年つづくのでした。
年ごろの息子に嫁のきてもない、娘を嫁にやるにも着物一つ買ってやれない、そのようなことが大人にはたえきれない悲しいことでした。
この谷すじの鎮守様、八幡宮のお祭には、娘や若い嫁たちは美しい着物をきてお参りしましたので、「衣装〈いしょう〉見るなら野瀬・神田」と歌にうたわれました。それが一度池が切れますと、「娘かわいそうに、みなはだし」とうたわれるほど、池の復旧工事には家財道具や衣装までつぎこまれました。

「庄屋〈しょうや〉さん、こんどこそは赤牛をいけにえにせにゃならないでしょう。」
池の切れるたびに赤牛のことが話にでますが、
「そんなむごいことができようか。」
といつも打ち消されます。だがこんどは、村中の人がのこらず赤牛のいけにえのことを口にします。庄屋さんは決心をしました。
牛はむかしから百姓の神様といわれていました。牛がなかったら田を耕すことができません。だから一粒の米もできません。
このように日本中の人びとは、古くから牛を神様のように思っていましたので、殺すということはしなかったのです。仕事に使えなくなった老牛でもながく飼って死ぬのを待っていたのです。
やがて村中の人が鎮守の森に集まって、神様のおみくじによって生けにえにする赤牛がきめられました。くじできまった赤牛は、六百キロもあるとてもよく肥えた牛でした。きれいに牛の体は洗い清められました。そしてその日は、赤白の首輪をかざり角にしめかざりをつけ、最後においしい飼〈かい〉を腹一ぱいたべさせました。いよいよその家から引かれていく時は、家中のものが牛にすがって泣いていました。
やがて牛は、池の堤〈つつみ〉のくずれた底にしっかりとつながれました。村の人たちは、一度にどっと牛をめがけて土を運びました。運んで投げこまれた土は、みるみる牛の足元を埋め、腹を埋め背を埋めました。
牛は悲しい声をなんどかあげて泣きました。土を運ぶ村の人たちも泣きました。やがて赤牛は埋められて池の堤はりっぱにできあがりましたが、村の人びとの耳には長い間あの悲しい赤牛の泣き声が、苦しい絶叫が、いつまでもいつまでものこりました。

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