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更新日:2012年6月1日

求女塚(東灘区・灘区)

むかし、摂津〈せっつ〉の国菟原郡〈うばらごおり〉に、一人の美しい女の人が両親といっしょに静かに暮らしておりました。
その土地の名をとって、その女の名は菟原処女〈うばらおとめ〉といいました。やがてこの女の人はりっぱに成長し、年ごろの娘さんになりました。菟原処女は姿かたちがたいへん美しかったばかりでなく、気立てのやさしい、しとやかな娘でしたので、大ぜいの男が、“ぜひ、娘さんを私のお嫁さんにしたい”と思い、せめて一目だけでも顔を見たいという人たちが、毎日のように娘の家を訪れました。その中でも、この娘と同じ摂津の国に住む菟原〈うばら〉という青年と、和泉〈いずみ〉の国に住む茅淳〈ちぬ〉という名の青年は二人とも、たくましいよく働く、たのもしい若者でした。またどちらも、この娘を自分のお嫁さんにしたいと熱心に考えていました。
二人はそろってりっぱな青年でした。年も同じでした。そればかりか、顔だちもそっくり、うり二つでした。どちらもやさしい心の持ち主で、きっとこの娘をしあわせにしてくれるにちがいないと思われました。
そればかりか、ある日、一人が娘に会いにくると、かならずもう一人の男もその日の夕方には訪ねてきました。それも、一人がもう一人のまねをしたのではありません。あたかも一人の人間の心が二人の人間のからだに乗り移っているようなありさまでした。二人の青年がひじょうにりっぱな若者なので、娘も両親も、この二人の中からおむこさんをきめようと考えました。
しかし、こうまで同じような、どちらがまさるともきめられないりっぱな若者でしたので、娘も両親もどちらともきめかねていました。

ある日のことです。こんなことがありました。菟原は山に入って美しい色の羽根をもった小鳥をつかまえたので、これを娘への贈り物にしょうと思い、いそいで菟原処女の家の前にやってきました。ちょうどその時、むこうから海でつれたみごとな魚を手にして急ぎ足でやってくる者がありました。よく見るとそれは和泉の国の茅淳でした。二人は、娘の家の前でぱったり顔を合わせると、「おれの方が早くここへ着いたのだから、おれの方が先に入る。」
「いや、わしの方が先だ。」と争いを始めました。
二人の男は娘を愛すれば愛するほど、どちらも、自分こそぜひこの娘を嫁にもらいたいと考えるようになり、毎日のように娘の家をたずねました。
ついには、二人とも真剣に相手をにくみ合うようになり、このままほっておいたのでは、二人は決闘〈けっとう〉するのではないかと思われるようなありさまでした。
娘は困ってしまいました。両親も心配でたまりません。
「のう、娘よ。お前もそろそろあの二人の中からおむこさんをきめたらどうだね。」
「はい。」
「菟原は良い若者だね。」
「はい。」
「茅淳もなかなかりっぱな青年じゃないか。」
「はい。」
「お前は、いったい、どちらのところへお嫁に行くつもりなんだね。」
「はい、おとうさま。私にはどうしてよいのやら、きめかねております。」
「そうか、むりもないことだ。ああそうだ、わしに良い考えがある。さっそくやってみよう。」

ある日、娘の父親は二人の青年を呼んでいいました。
「あなたたちお二人が、私の娘を嫁にしてやろうといってくださってほんとにありがたいことです。でも、お二人ともごりっぱな方で、私どもはどうしてよいものやら、考えまよっています。そこでいかがでしょうか、ここから少しばかり西へ行ったところに生田川という川があります。そこにたくさんの水鳥が遊んでおりますので、弓矢を射てそれを取ってくださった方のところへ、娘をやりたいと思います。」
話を聞いて二人の若者は、「それは良い考えだ。じゃ、さっそく今から出かけましょう。」と、皆そろって出かけました。
六甲の山から流れ出て静かに海にそそぐ生田川は、青く澄んで岸辺にはあしの葉がゆれていました。
娘とその両親が見守る中を、二人の男はあしの葉かげにかくれて、そーっと水面に遊んでいる水鳥の方へ近づいていきました。
やがて菟原は、弓に矢をつがえ、遊んでいる水鳥にねらいをつけると、キリキリと弓を引きしぼりました。ヒューッ。弓を離れた矢は、水鳥の頭に命中しました。

菟原は大喜びで飛びあがりました。
ところがどうでしょう。その瞬間〈しゅんかん〉、どこからともなく飛んできた矢が、こんどは尾羽根に命中したのです。
皆がおどろいて矢の飛んできた方角をみると、そこには茅淳が弓を高高とさし上げて万才〈ばんざい〉をしているではありませんか。これを見て娘は、もうどうしていいのか分から〈わから〉なくなりました。途方にくれた娘はとうとう決心しました。
父と母に別れのことばをのべると、娘は、さっと身をひるがえして生田川の流れに飛びこみました。これを見た両親はびっくりしました。菟原と茅淳の二人の青年も、娘のあとを追うように、先を争って流れに飛びこみました。しかし、いくら待っても、三人の姿は水面には浮かんできませんでした。

それからいく日かの日がすぎました。
生田川の岸辺に、左右両方から二人の青年の腕〈うで〉に支えられるようにして立つ、美しい娘の姿が見られる、という話が広まりました。娘の両親はたいそう悲しみました。
そして、りっぱなお墓をつくって、手あつく葬りました。これを聞いた二人の若者の両親は、せめてお墓だけなりとも娘のそばにつくってやりたいと思い、娘のお墓の西と東に若者のお墓をつくって葬りました。
この娘のお墓は処女塚〈おとめづか〉といい、西がわにつくられた菟原のお墓と、東がわの茅淳のお墓とは求女塚〈もとめづか〉と呼ばれるようになりました。三人の、この悲しい恋物語の伝説を秘めて三つのお墓は、今も六甲の山のふもとに静かに眠っております。

『大和物語』

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