• お問い合わせ
  • 文字サイズ・色合いの変更
  • サイトマップ
  • 携帯サイト

メニュー

ホーム > 学校・授業の教材 > 郷土の民話 > 『郷土の民話』神戸編 > 栗花落〈つゆ〉の井戸(兵庫区山田町原野)

ここから本文です。

更新日:2013年1月21日

栗花落〈つゆ〉の井戸(兵庫区山田町原野)

奈良時代の末、淳仁〈じゅんにん〉天皇のとき、丹生山田〈にうやまだ〉生まれの山田左衛門尉真勝〈さえもんのじょうさねかつ〉という人が朝廷〈ちょうてい〉に仕えていました。ある日、真勝は左大臣藤原豊成〈さだいじんふじわらのとよなり〉の二女白滝姫〈しらたきひめ〉の姿を一目みて、たちまち姫が好きになってしまいました。豊成には長女として中将姫〈ちゅうじょうひめ〉という娘があり、中将姫と白滝姫とは賢〈かしこ〉さと美しさで、都の噂〈うわさ〉の人でした。思いこんだ真勝は、心のうちを歌にして姫におくりました。

水無月〈みなづき〉の稲葉〈いなば〉の末もこがれるに 山田に落ちよ白滝の水
(稲の葉の端〈はし〉っぽのような身分の低い私のようなものでも、姫の姿を一目みて恋におちいってしまいました。どうか私の思いをおききとどけてください。)

この歌に対して、白滝姫は次のような歌を返しました。

雲だにもかからぬ峰の白滝を さのみぞ恋ひな山田男の子よ
(雲ですらかからないような身分の高いこの白滝姫に、どうしてあなたのような身分の低いものが恋いしたうのですか。)

真勝はまじめな人でしたので、天皇はその人がらにつね日ごろから感心しておられました。この二人の歌のやりとりをお知りになった天皇は、なんとかして真勝の思いをとげさせてやろうと、自〈みずか〉らその仲立ちに立たれました。そして、白滝姫を説得〈せっとく〉してこの二人を夫婦になさいました。真勝は喜び勇んで白滝姫を山田の里へつれ帰りました。

白滝姫は都の高貴〈こうき〉な生活から一度に田舎のひなびた土地にきたために、生活になじめず心のうかぬ日がつづきました。そうしているうちに一人の男の子が生まれました。しかし、白滝姫の気持ちはかわりませんでした。三年の歳月〈さいげつ〉がたち、白滝姫は病〈やまい〉のためにとうとうなくなってしまいました。

真勝は悲しみにくれました。姫の霊〈れい〉をなぐさめようと、屋敷の内に姫をまつる弁財天〈べんざいてん〉の社〈やしろ〉を建てました。この社の前に池を掘りましたが、この池に毎年の梅雨〈つゆ〉の季節には清水がわき出て、日でりのときでも涸〈か〉れることがありませんでした。
村の人びとは、この清水によってうるおいました。これは白滝姫の霊威〈れいい〉によるものだとして、人びとは、この清水を「栗花落〈つゆ〉の井戸」とよび、白滝姫をしのびました。栗の花が落ちる季節が梅雨なので、「栗花落」で「つゆ」とよませたといいます。

(櫛田菅治氏―明治三三年生談)

お問い合わせ

情報管理部広報係

電話番号:078-331-9962

ファクス番号:078-331-8022