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ホーム > 学校・授業の教材 > 郷土の民話 > 『郷土の民話』神戸編 > 矢拾〈やひろ〉い地蔵〈じぞう〉さん(須磨区車)

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更新日:2013年1月21日

矢拾〈やひろ〉い地蔵〈じぞう〉さん(須磨区車)

車〈くるま〉にある慶雲寺〈けいうんじ〉の本尊を人びとは「やひろいじぞうさん」とよんでいました。そして、そのむかし足利尊氏〈あしかがたかうじ〉が信仰していた仏さまだと伝えられていました。尊氏は後醍醐〈ごだいご〉天皇にしたがって、鎌倉幕府をたおし、建武〈けんむ〉の中興〈ちゅうこう〉を実現した武将でしたが、のちにこの政治に不満をもった武士たちとともに、天皇方と戦うことになります。一度は敗れて九州におちのびますが、翌年、勢力をもり返して、京にむかって軍をすすめてきました。この尊氏をむかえうつために、かつて赤坂〈あかさか〉や千早〈ちはや〉の城で勇ましい戦いをした楠木正成〈くすのきまさしげ〉が兵庫にやってきます。こうして湊川〈みなとがわ〉の激戦〈げきせん〉がくりひろげられました。

はげしい戦いの中に、一人の坊〈ぼう〉さんが姿をあらわしました。それは日ごろ尊氏が信じていた地蔵さまが、人間の姿であらわれたのでした。その坊さんは、雨のように飛んでくる矢〈や〉を、空中で目にもとまらぬ早わざをつかってひろい取りました。おかげで尊氏の軍は、とてもたすかり大勝利をおさめることができました。

戦いのあと、尊氏の信心はますます深まり、車にお堂をたてておまつりしました。また、車のあたりは、この地蔵堂の荘園〈しょうえん〉にされたといいます。村人たちは、このお地蔵さまを、「やひろいじぞうさん」とよぶようになりました。このお地蔵さまは、古くは兵庫の魚〈うお〉の御堂〈みどう〉にまつられていたとも伝えられていますが、昭和二十八年に、火事にあって焼けてしまいました。

(『摂津名所図会』)

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