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ホーム > 学校・授業の教材 > 郷土の民話 > 『郷土の民話』神戸編 > 天神さまと飛松〈とびまつ〉(須磨区天神町・板宿町)

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更新日:2012年12月10日

天神さまと飛松〈とびまつ〉(須磨区天神町・板宿町)

人望があつく学問のある菅原道真〈すがわらみちざね〉は、時の天皇から引きたてられましたが、ぎゃくに権勢〈けんせい〉をほこる藤原氏の一族と対立〈たいりつ〉を生じました。天元二年(九七九年)、藤原時平のいんぼうによって、道真は九州の大宰府〈だざいふ〉に流されていきます。その途中、この地方で一泊しようとしますが適当な家もありません。しかたなく板がこいの家をつくって、そこにとまりました。人びとはそのあたりを、板宿〈いたやど〉とよぶようになったといいます。ところで道真は京にいたころ、松と梅と桜の木をことのほか愛し、育てていました。道真が九州に流されると決った時、彼のやしきの桜は、またたくまに枯〈か〉れて葉を落としました。また、梅はよいかおりを、東からの風に乗せて九州にまでも送ってきました。松だけは知らぬ顔です。
「草や木に心はないのに、桜も梅も、この道真をしたって悲しんでいる。それにしても松の木は、なんともつれないことだろう。」この道真のことばを伝え聞いた松は、すぐに京から空を飛んで須磨にやってきました。板宿〈いたやど〉の八幡神社に「飛松〈とびまつ〉」という松の古木があります。

つぎに九州にむかう道真の船は、荒波〈あらなみ〉のために西須磨のあたりで岸につけられ、一行は上陸します。そのころの須磨はさびしい漁村でした。漁師たちは道真をもてなすために、魚をとる網〈あみ〉についた太い綱〈つな〉を地面にぐるぐるとまいて、丸い座席をこしらえ、そこに道真をすわらせたといいます。このため後にここに建った道真を祭る神社を、綱敷天神〈つなしきてんじん〉とか、綱巻天神とよんでいると伝えられています。

(『兵庫名所記』)

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