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更新日:2012年6月1日

北向き地蔵さん(生田区)

「このなが雨で、大水が出にゃええがのう。」
「去年も秋のあらしで川の土手がきれて、田んぼがわやになってしもうて(だめになって)なんぎしたのに、つづけて米がとれなんだらどないしたらええんや(どうしたらいいのか)。」
「ほんに、土手でもきれたらえらいこっちゃで(たいへんなことだ。)」
生田〈いくた〉村の人たちは、昔からなんども大雨のたびに土手がきれて、あふれた水が流してきたどろや砂で、田をだめにされてきました。雨の中で、きているみの〈・・〉やかさ〈・・〉からしずくを流しながら、村の人たちが心配そうにまっ黒い川の動きを見て、話し合っていました。

「なまこが流されたぞーっ。」
なまこというのは、竹であんだかごの中に石ころをつめてつくったものです。川の土手から流れの中につき出すように川ぞこにつくられるものです。これで水かさがまして、土手までおしよせる水の流れをやわらげたり、かえさせたりするものです。なまこがはたらいているうちは、まだ川の水が土手をつきやぶることはありませんでした。そのしるしに、なまこに竹ざおをたてて、その先に白いぬのをしばりつけておくのでした。大きな木や石が上流から流されてくると、なまこがつぶれて、竹ざおもたおされてしまうのでした。
村人たちは、夢中で前の年にこわれた土手のところへ走りました。十分にみんなで石をつみ、土をかためてなおしたのですが、心ぱいになったからでした。

「またか、あなができかけとるぞ。」
「早う〈はよう〉、手あてを。」
「ようじょうじゃ。早う、土俵〈どひょう〉をつくれ。」(土をわらにつめて土俵をつくり、土手につみあげたりして、こわれかけたところをつくろうこと)村の人たちは、雨の中でくわをふるい、土をつめ、土俵をはこびました。
「ホイサ。」「コラショ。」
いせいのよいかけ声とともに、どんどんあながうずめられていきました。
「これで、もうここはだいじょうぶだ。」
ほっとして、村の人たちがやれやれとこしをおろしかけたときでした。
「上〈かみ〉の方が、あぶないぞー。」
というさけび声が聞こえてきました。みんなは、「それっ。」と走っていきました。雨は止まない〈やまない〉し、その上風も強くなってきました。

ときどき遠くでピカッといなびかりがし、ゴロゴロというかみなりの音もしました。はじめ元気だった村の人たちも、だんだんにつかれてきました。夜中をすぎるころには、みんなヘトヘトになってしまいました。見はり小屋の中でゴロねをしていましたが、こんどどこかがくずれかけたら、もうだれも元気にはたらけないくらいでした。
ゴオーッという大きな音といっしょに、山から流されてきた大きな木があたったのか、やっとのことでなおした土俵のあたりで、ドスッ、ドスッ、とじひびきがしました。きっと大きなあながあきかけて、土手が切れかけたにちがいありません。
「土手が切れかけたぞうー。」
「流れてきた木がぶちあたったわ。」
小屋の中で、だれかがさけんだけれど、だれもおきあがる力のないようにころがったままでした。
「ああっ!」
「だめだー。土手が切れるうー。」
と、頭をかかえてすわりこんでしまった人もいました。オイオイなき出した人もいました。またことしも田が流されてしまうのかと、みんなが思ったときでした。
「ドスン。ドスン。ドスン。」
という大きな足音が近づいてきました。ズーッ、ズーッ、という重いものをひきずるような音もしてきました。村の人たちはびっくりして、こわくてふるえあがりました。口がパクパクしたが何もいえないままでした。だれも戸をあけて見ようともしませんでした。
「ザブーン。」「ザブーン。」とつづけさまに、石でもなげこむような大きな音がしました。しばらくすると、シーンとなって水の流れがかわったようにしずかになっていきました。それでも、村の人たちはだれも小屋から出ようとせず、しんだようにねむってしまいました。

夜があけたとき、村の人たちはぞろぞろおきだして土手へあがっていきました。たすかったのがふしぎでした。川の水は半ぶんぐらいにひいていました。小さな木が岸にひっかかっていました。もう少しで土手が切れるところまで水がきたことがわかりました。
「あぶなかったのう。」
「そうじゃ。すんでに土手が切れたと思うたにのう。」
「それにしても、あの音は何じゃったんかのう。なんぞ重いもんでもかついでいくような音じゃと思ったが。」
「それよ。わしら、みんなのびてしまうていたからのう。」
「もう。土手がもたんと思うたときじゃったのう。水がぐんぐんひいていくみたいじゃった。」
「けったいなことも、あったもんじゃ。」

口口にいいながら、ふと見ると、小さなお地蔵さんが目につきました。だれが投げ入れたか、ごっそりと川の水にえぐりとられたあなに石がぎっしりとつまり、その一ばん上に土俵が二つおいてありました。その上にちょこんとお地蔵さんがのっているのでした。
「おお、地蔵さんじゃないか。」
「ほう。こんなところに、のう。」
「この地蔵さんかどうかわからんが、大きな黒いかげを見たというものもいる。」
「みんな、音はたしかに聞いた。」
「うん。そうじゃ。」
「なんせ、この地蔵さんにかかわりのあることだ。そまつにすればばちがあたるぞ。」
「おまつりしてはどうかいの。」
「そうじや。村でおまつりするのがいちばんじゃ。」
と、いうことで、生田神社のはずれにあたる川べりに小さなお堂をたてて、そのお地蔵さんをまつることになったということです。村の人たちは、お地蔵さんがすわっていたところへ向けて、おまつりをしたので北の方を向いておまつりすることになりました。昔はなんでも「ふたぎ地蔵さん」というていたのだそうですが、いつのころからか「北向き地蔵」というようになったということです。
その後、生田川が明治になってつけかえられるようになりました。新しい生田川がつくられて、もとの生田川の川のすじは、土手をけずったり川原をならしたりして「加納〈かのう〉町」になりました。今では広い道路や街になり、神戸市の中心になっています。それでも地蔵さんだけはのこって、お花や線香のたえることもなく、まちの人びとがおまいりをしています。

(生田区 なかおかちゅうじろう氏 明治20年清生談)

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