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更新日:2012年6月1日
兵庫区平野に祇園〈ぎおん〉神社があります。祇園神社では祭日に「蘇民将来子孫人也〈そみんしょうらいのしそんのひとなり〉」と書いた守り札〈ふだ〉を出しています。これには、こういう話が伝わっているのです。
大むかしのことです。武塔天神〈ぶとうてんじん〉という神さまが、妻を求めてあちこちと旅をしておられた時のことです。
ある土地までこられた時、日が暮れてしまいました。その土地には、蘇民将来〈そみんしょうらい〉と巨旦将来〈こたんしょうらい〉という兄弟が住んでいました。弟の巨旦はたいそうお金持ちで、家や倉〈くら〉を百ももっていたのですが、兄の蘇民の家は、ひどく貧しい生活をしていました。
武塔天神は、はじめ弟の巨旦の家にいってたのみました。
「こんや、ひとばん泊めてくださいませんか。」
巨旦はお金持ちでしたが、けちんぼうだったのでことわりました。
つぎに武塔天神は、兄の蘇民の家にいってたのみました。
「こんや、ひとばん泊めてくださいませんか。」蘇民は貧乏でしたが、心のやさしい人だったので、「何もおもてなしはできませんが、それでもよろしかったらどうぞ。」と心よく泊めて、粟〈あわ〉の飯〈めし〉をごちそうしてくれました。
それから何年かたったある日、武塔天神は八人の子どもをつれて、ふたたび蘇民の家をおとずれました。
「前にはたいそうお世話になり、ありがとうございました。きょうはその恩返しに寄ったのです。」
といって茅〈かや〉の輪〈わ〉をつくって、蘇民の家の人たちの腰につけさせました。ところがその夜のあいだに、蘇民の家の人たち以外の村の人たちは、みんな死んでしまいました。
あくる朝、生き残っているのが蘇民の家の人たちだけであるのに気がついて、びっくりしているところへ、武塔天神がやってこられました。
「じつは、わたしは素佐男神〈すさのおかみ〉である。こののち悪い病気がはやれば、蘇民将来の子孫だと書いた紙を門口にはり、茅〈かや〉の輪を腰につけておけば、悪いことや病気は免がれる〈まぬがれる〉だろう。」といい残して、どことも知れずに出ていかれました。
この話は、あちらこちらにもあります。いまも、あちこちの神社で六月と十二月のみそか(一番最後の日)に、茅〈ち〉の輪〈わ〉くぐりをするのもそのためです。
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