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更新日:2012年6月1日

幻の寺(灘区)

むかし、京の都に釈慶日法師〈しゃくのけいじつほうし〉というお坊さんがいました。法師は比叡山〈ひえいざん〉で修行し、仏教のあらゆることについてよく知っているりっぱな人でしたので、人びとは法師のことを聖人〈しょうにん〉とよんで尊敬していました。

 

 

法師は、年をとってから摂津〈せっつ〉の国菟原郡〈うばらごおり〉にやってきて、摩耶山〈まやさん〉のふもとの、とある小さい山に質素なお寺を建てて仏教の教えを伝え広めていました。法師は、りっぱなお寺の本堂を造ったり、多くの宝物館や大きい山門を造ったりすることもなく、また、本堂の中に入ってみても、お経と花を供える道具のほかは何もありません。法師は、ぜいたくなことはいっさいせず、ただ質素な生活をして、仏の教えを人びとに教えておりました。

 


それは、あるはげしい風雨の夜のことでした。外はまっ暗で、ビュービューと吹く風の音と、ザーッと降りそそぐ雨の音が聞こえるだけです。そんな時に、法師は用事のために外に出かけることになりました。法師がまっ暗やみの中に出てみると、前方には松明〈たいまつ〉をもって暗い道を明かるく照らして案内してくれる人が、どこからかあらわれました。するとこんどは後ろから、
「法師さま、雨にぬれてさぞお困りでしょう。私が笠〈かさ〉をさしてあげましょう。」
といって、笠をさしかけて雨にぬれるのを防いでくれる人があらわれるのです。このようすを遠くから見つけて、法師のそばへ村人が走りよってみると松明も笠もないのです。まっ暗な中を、雨にぬれながら法師は一人で歩いているのです。村人はふしぎに思いながら法師と別れていきました。ところが、遠のいてみるとさっきと同じように、松明も笠も見えるではありませんか。


また、ある時のことです。
りっぱな身なりをした人たちがおおぜいで、馬に乗ってこの法師をたずねてきて、それぞれ大きな声で話し合っているようです。その声は、ふもとの村人の家まで聞こえてきます。村人たちは、何ごとが起こったのだろうと思ってようすを見にお寺に集まりました。
ところが、近づいてみると、人の姿も馬の姿も見あたらず、あたりの木立〈こだち〉はしーんと静まりかえっています。ふしぎな思いで村人たちが山のふもとまで帰ってくると、またやかましく、わいわい騒ぐ声は、さっきと同じように、山の上のお寺の方から聞こえてくるのです。
このようなことがあってから村人は、法師はとても偉い人で、自分たちにはわからない何か特別の魔力をもっているにちがいない、と考えるようになりました。


それからしばらくたったある日のことです。
法師は、本堂で両手を合わせて合掌〈がっしょう〉した姿のままで、お経をとなえていた時そのままの姿で亡くなられてしまいました。すると、どこからともなく、何百人何千人とも知れない人の声がひびいてきて、あたりは法師をしたって泣き悲しむ声にうずもれました。その声は山から谷へ、谷から里へとひびきわたっていきましたので、村人たちもさっそくお寺を訪れました。ところが、こんどはたしかに泣き声は聞こえるのですが、人の姿は一人も見えません。中には、まるで地獄の底からの声を聞いているような感じがしてきて、まっ青な顔をしてぶるぶるふるえている人もいました。その中から一人の年寄りがすすみ出て、
「今までこの寺と、法師の身の上におこったいろいろのふしぎなできごとにしても、きょうのこの悲しそうな泣き声にしても、これはきっと、みな偉い法師さまの奇跡〈きせき〉にちがいない、とわしは思うのじゃが…。むかし支那の国の仏図法師という偉い坊さんは、鉢の中に水を入れてしばらくの間お経を唱えているうちに、鉢の中に青蓮華〈れんげ〉の花を開かせた、というではないか。釈慶日法師さまはあんなに偉いお坊さんだったのだから、きっとふしぎな力をもっておられたにちがいない。どうじゃろうな、皆さん。」と、いって皆の顔を見わたしました。


村人たちは、皆なるほどと思い、「きっとそうだ、そうにちがいない。私たちも法師のめい福をお祈りしよう。」と、皆それぞれに手を合わせました。悲しみの声はますます大きくなっていきました。それ以後、村人の中でだれかが亡くなると、かならず、この山からは何千人とも知れぬ人びとの、悲しそうな泣き声があたりの山や野や里にひびき伝わっていくようになった、ということです。

『摂津名所図会』

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