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ホーム > 学校・授業の教材 > 郷土の民話 > 『郷土の民話』神戸編 > 大きな海亀〈うみがめ〉(兵庫区)

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更新日:2012年10月15日

大きな海亀〈うみがめ〉(兵庫区)

むかし、兵庫の西の町のはずれに、大きな柳〈やなぎ〉の木がはえていました。それで、このあたりを柳原〈やなぎはら〉とよんでいました。

その柳の木の下に、小さなあばら家〈や〉が一軒あって、木下〈きのした〉の源太兵衛夫婦〈げんたべえふうふ〉が住んでいました。
その家は街道〈かいどう〉にそっていて、街道には往来〈おうらい〉の人が多かったので、ぞうりを作って道ゆく人たちに売り、貧しいながらもなかよく暮していました。

ある年の暮〈くれ〉に、一人のお坊さんが源太兵衛の家にきて、一夜の宿をたのみました。
「ごらんのとおりの暮しです。何もおもてなしはできません。わたしどもと同じものでよろしかったら。」
それでも、なずなを入れた小〈こ〉ごめのかゆをつくって、さしあげました。
あくる日はお正月です。お坊さんは、かまどに手を合わせて仏〈ほとけ〉の名をよび、かたわらのぬかみそ桶〈おけ〉にお経〈きょう〉を唱〈とな〉え、世話になった礼をのべて、いずこともなく立ち去っていきました。

しばらくたって、ぬかみそ桶から何やらよい匂〈におい〉がするようになりました。ふたをあけてみると、ぬかみそはこうじみそにかわっていました。ひと口なめてみると、それはたいへんおいしかったので近所〈きんじょ〉の人たちにも分けてあげました。
桶はからっぽになりましたが、つぎの日には、また桶はいっぱいになっていました。おいしいこうじみその話を聞いた人たちが、みそを分けてもらいに源太兵衛の家へやってきました。
それから源太兵衛は、そのこうじみそを売るようになりましたが、いくら売っても桶の中のみそはなくなりません。それでたいそうお金持ちになって、みんなは木下長者〈きのしたちょうじゃ〉とよぶようになりました。

こうして、源太兵衛夫婦はしあわせに暮していましたが、ある時、以前のお坊さんが夢にあらわれました。源太兵衛は、自分たちがいましあわせに暮しているのは、あのお坊さんのおかげだと思い、持っているお金を全部出してお寺をたてようと思いました。それで、大きな船をなんそうも用意して、西国〈さいこく〉へ材木を買わしにいかせました。材木を積〈つ〉んだ船が兵庫の港に入ろうとして、和田〈わだ〉の沖までくると、とつぜん、大風が吹いて船は海底に沈んでしまいました。この知らせを聞いた源太兵衛は、さっそく和田の岬までいってみました。そして、がっかりして何もいえませんでした。
その時、可禅〈かぜん〉というお坊さんがとおりがかり、源太兵衛にいいました。
「これは、きっと海の神さまが、あなたの心をためしているのですよ。もう一度西国へいって、以前の倍〈ばい〉の材木を買ってきなさい。そのために、あなたの持っているお金が全部なくなったとしても、それは、以前のあなたの生活にもどるだけのことではありませんか。」
源太兵衛は、以前には小さなあばら家に住んでいても、しあわせだったのを思い出しました。
そして、また大きな船をなんそうも用意して、西国へ材木を買わしにいかせました。材木を積んだ船が兵庫の港に入ろうとして、和田の沖までくると、前に沈んだ船がみんな浮き出してきました。
積んでいた材木は、一つも失われてはいませんでした。よく見ると、牛を十頭〈とう〉もひとのみにするくらいの大きな海亀が、その船を背負っているのでした。
源太兵衛のま心が海の神さまに通じたのでしょう。源太兵衛は大きな寺をたてて、仏さまをおまつりしました。

(福厳寺に伝わる話)

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