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ホーム > 学校・授業の教材 > 郷土の民話 > 『郷土の民話』神戸編 > 野中の清水(垂水区岩岡町野中)

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更新日:2012年12月10日

野中の清水(垂水区岩岡町野中)

加古川から明石まで、ほどんど一直線につづいている筑紫大道〈つくしおおみち〉を旅する人が困るのは、飲料水〈いんりょうすい〉です。川というほどのものがひとつもなく、美しい湧〈わ〉き水もあまり見かけません。ただ、ゆるいカーブをもった野道〈のみち〉が、まばらな松並木〈なみき〉の間にどこまでもどこまでもつづいているだけです。

ところで、そうした中にただひとつ、美しい清水の湧くところがあります。街道からは少し北へ入らねばなりませんが、ちょうど、琵琶〈びわ〉のような形をした窪地〈くぼち〉があり、ここから、こんこんと水が湧き出ています。冬はあたたかく、夏はつめたく、まことに良い水です。旅する人は、つぎつぎと聞きつたえ、かならず立ち寄って渇〈かつ〉をいやしました。

むかし、美作守〈みまさかのかみ〉となってくだっていった人が、印南野〈いなみの〉をとおるときに、ここへ立ちより、清水を飲んでいきましたが、その味が忘れられないというので、京都へ帰って病気になったとき、わざわざ人を使わして水を汲ませました。器〈うつわ〉に入れて都へ持ち帰る間に水はぬるく・・・なって、もとのつめたさ・・・・はなくなっていましたが、もともと良い水のことですから「質はかわるまい」とそれを飲みました。
するとどうでしょう。ふしぎに病気がなおりました。この清水が、それからいっそう名高くなったことはいうまでもありません。

もと、北面〈ほくめん〉の武士でありながら一念発起〈ほっき〉し、仏門〈ぶつもん〉に入って諸国を行脚〈あんぎゃ〉した漂泊〈ひょうはく〉の詩人、西行〈さいぎょう〉法師が二度までここをおとずれ、

むかし見し野中の清水かわらねば 我がかげをもやおもいいづらん

とよんだことは有名です。

藤原俊成〈ふじわらしゅんぜい〉・定家〈ていか〉父子をはじめ、名高い歌人で、この清水をよんだ和歌はおびただしい数にのぼります。

(『播磨鑑』)

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