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ホーム > 学校・授業の教材 > 郷土の民話 > 『郷土の民話』神戸編 > 琵琶〈びわ〉の塚〈つか〉(須磨区須磨浦通)

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更新日:2012年12月10日

琵琶〈びわ〉の塚〈つか〉(須磨区須磨浦通)

太政大臣〈だじょうだいじん〉藤原師長〈もろなが〉は琵琶〈びわ〉の達人〈たつじん〉でした。けれども自分の腕前〈うでまえ〉に満足せず、もっと上手なひきてになろうと、唐〈とう〉の国(中国)にわたる決心をしました。彼のかたい決意を、まわりの人びとも変えることができませんでした。京を出ていく日めかのことです。須磨をとおりかかった師長の前に、村上〈むらかみ〉天皇と梨壺女御〈なしつぼのにょご〉の霊〈れい〉があらわれたのです。
「師長、都に帰りなさい。」「いえわたくしは唐〈とう〉にわたります。」
長い問答〈もんどう〉のすえ、二人の霊はいいました。「それでは師長、そなたに琵琶のすばらしい腕前をあたえよう。」まさかと思いながら琵琶をひいた師長は、自分の腕前におどろきました。満足して彼は都へと帰っていきました。人びとはそこに村上天皇を祭る祠〈ほこら〉を建てましたが、その祠の後ろには、小さな古墳〈こふん〉がありました。この古墳には竜宮〈りゅうぐう〉から師長におくられたすばらしい獅子丸〈ししまる〉という琵琶がうずめられているので、土地の人びとはその古墳を、琵琶塚〈びわづか〉とよぶようになったということです。

(『西摂大観』)

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