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ホーム > 学校・授業の教材 > 郷土の民話 > 『郷土の民話』神戸編 > 高塚山の石窟〈せっくつ〉(垂水区名谷町)

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更新日:2013年1月21日

高塚山の石窟〈せっくつ〉(垂水区名谷町)

名谷町の高塚山に石のほら穴があります。石でつくったほら穴のことを、石窟〈せっくつ〉というのです。名谷町中山にある高塚山には、この石のほら穴があります。
このほら穴には、いろいろのいわれがあります。

そのむかし、このあたり一面に火の雨が降ったことがありました。そのため、人びとはたいへんおどろき、なきさけびました。そのため、人びとは、石に穴をほって、その中で住むようになりました。それが、高塚山の石窟だというのです。

いやいや、そうではなかろうという人もあります。
火の雨が降ったからといって、そんなににわかに、石に穴をほって、人がすめるようにできるわけでもなし、それは、あまりにつごうよくできすぎた話だというのです。つまり、この石のほら穴は、むかしの神神がすんでいたあとで、その神神がいなくなったあとを、だれかが家として使ったにちがいなかろうというのです。

ところが、その話も、あやしいという人があります。
むかしから、たいへんえらい人や、身分の高い人が死んだ場合には、大きなお墓〈はか〉をつくる習慣〈しゅうかん〉があります。これを古墳〈こふん〉といいます。この石のほら穴も、大むかしの墓にちがいなかろうというのです。

こういう話には、話し手、きき手の想像がまじりますので、なかなかほんとうのことがわかりません。
話はずっと新しくなりますが、あそこには、山賊という悪者が住んでいたという人もあります。

こういういろいろの話が、この高塚山をめぐって語りつがれているようなので、このことを正〈ただ〉すために、郷土の歴史研究家にたずねました。
そうすると、この石窟は、古墳時代後期(六世紀ごろ)につくられた古墳の横穴式石室だということでした。

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