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ホーム > 学校・授業の教材 > 郷土の民話 > 『郷土の民話』神戸編 > 御船山〈みふねやま〉(長田区)

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更新日:2012年11月12日

御船山〈みふねやま〉(長田区)

長田区役所と新湊川にはさまれて道がありますが、そのかたわらに「御船山〈みふねやま〉旧蹟」という石碑が立っています。いまは、とりわけて説明するほどのものはなにもありません。しかし、もとは小高い丘があり樹木が繁っていて小さい森になっていました。広さは十三坪ほどだったといいますから、いまの単位でいうと約四十三平方メートルになります。この丘は明治三十五年(一九〇二年)に新湊川が苅藻〈かるも〉川に合流し、堤防〈ていぼう〉が築かれたときになくなりました。この地をなぜ御船山というかについて、いくつかの話があります。

むかし、仲哀〈ちゅうあい〉天皇(十四代)のお后〈きさき〉に、神功〈じんぐう〉皇后という方がありました。天皇の死後、皇后は朝鮮に遠征したという伝説があります。これを神功皇后の三韓征伐〈さんかんせいばつ〉といいます。この三韓征伐についての伝説は各地にたくさんありますが、神戸地方にもこれにまつわる話が多くあります。御船山の命名もその一つです。

神功皇后は三韓征伐に勝って大和の国へ帰国する途中、この地に船をとどめました。そこでここを御船山と呼ぶようになったということです。
むかしは、苅藻川をさかのぼって船がこの辺まではいってきていたのかもしれません。
また、長田神社が祀〈まつ〉られたときに、この地に御船をかざった船具を埋めたので、御船山と名づけたともいいます。
さらにまた、この地下に黄金の船が埋められているので、御船山ととなえたともいいます。
ここは、御船山・船山・御船の森というよび方もされていて、むかしは長田神社の付属地でした。ふしぎなことに、長田神社の敷地は、船の形をしています。このことと御船山となにか関係があるのかもしれません。
ほんとうはどのようないわれのある土地でしょうね。ひょっとすると古墳〈こふん〉なのかも知れません。

(『長田神社點描』)

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